■〜秘密〜■
〈 弐 〉 20070415
辛うじて繋がっている、擦り切れそうな糸のように。 僅かな誇りでもってアテムは意識を保っていた。 (貴様のしたいように、すればいい……) オレは何も感じない。 だから、何も、返さない それは、防衛本能だったのだろうか。 『自分』を保ち続ける為の。 体を這う他人の熱に対しても、今はもう、嫌悪を感じることはなく。 されるがままに、そのままに。 刺激に対する感受性は無に等しかった。 良くも無い、悪くも無い。何でもない。 (こんなの、なんてこと、ない) ありとあらゆる感覚が鈍くなっていた。 瞳を閉じなくとも、映し出されるものが像となって記録されることはなく、 耳元で囁かれる音も、言葉として伝わることはなかった。 「 」 やがて 耳に吹き込まれた熱っぽい吐息。 それから。 少し間を置いて、半開きの口唇に押し付けられた生暖かいもの。 それが何なのか考えることも面倒で。 暫くの後、ふと感じた『寒さ』に、それまで密着していた男の温度が去っていたことを漸く知った。 (終わったのか……?) のろのろと瞳を動かしても、その姿を捉えられない。 (いつ……) どれ程の時間が経過したのかも、判らない。 (もう、いいのか) もう、力を抜いても。気を弛めても。意識を、落としても……。 (眠りたい) 眠ってしまいたい。バクラの前では無防備になりたくはなかったから。 だから、気を失うことも、放心状態になることも、……目を、瞑ることさえも。 アテムは自分に許さなかった。 張り詰めていた緊張を解き、ふっと脱力した途端。 襲った、猛烈なだるさ。 体が言うことをきかない。 指一本すら動かすことが出来なくて。 投げ出された四肢は全く自由にならず、このままズブズブと沈んでいきそうなほど重かった。 (眠りたい) 眠りたい、 眠りたい、 眠りたい。 眠って、現実を遮断して、夢を見て。 そうして目覚めた時、全てを『なかったこと』にしてしまえたら。 でも、もうすぐ。 きっと、恐らく、朝が来る。 (眠れない) いつもの朝が、やって来る。 いつものように、使いの者が部屋にやって来て 湯浴みの準備。 香油係と衣係に囲まれて、身支度を整えて。 いつものように傅く皆の前を進み、それから…… ビクリと大きく、体が震えた。 小刻みに揺れる腕をあげ、目の前に手をかざす。 ぼんやりと捉えた、手首に残る……拘束の跡。 皮が裂け、うっすらと血が滲んでいる。 一体いつ、解かれたのだろう……? ああ、そんなことよりも。 (見せてはならない) 鉛のように重たい体をゆっくりと起こし、自分の状態を確認する。 どちらのものともつかない分泌物にまみれた己の肌。 粘つく液体でぐしゃぐしゃになった、白い上質の布。 そこに散らばる、夥しい出血のあと。 視界を支配する絵に、たまらず顔を背けた。 (……) 固く瞳を閉じ、真っ暗な闇の中で心を鎮めると、耳の奥に残る男の声が蘇る。 『じっくりと、教えてやるよ……――』 「!!」 痛み。 裂かれる痛み。 痛み。 突かれる痛み。 痛み、 痛み。 それを振り切るかのように、寝台を降りた。 気持ちは降りたつもりだった。 けれども痙攣する下肢は体重を支えきれず床の上で折れ、情けなく蹲るだけだった。 (しっかりしろ!!) 部屋中にむっと立ち込めている雄の匂い。 青白い顔はますます色を失った。 下半身の鈍い痛みを引きずりながら、這うようにして窓際へと近づく。 (夜明けまでは、あと……) 木枠に張られた柔らかい布を除け、白む空の色を確認した。 朝が動き出す。今度こそ頭がハッキリとした。 それからは、夢中で。 よどんだ空気を入れ替えるため窓を開け放し、外気を部屋の中へと流し込む。 よろめきながら寝台へと戻り、そこを覆う布を胸の中に掻き抱いた。出来るだけ小さく巻き込み、籐でできた蓋付のつづりの中へと突っ込む。たったそれだけの行動がひどく負担で、かなりの時間を要してしまった。 「ファラオ」 それでも、いつものように様子を窺う声を聞く頃には、少なくとも部屋の中は落ち着いていた。 「そのまま!!そこで待て、入ってくるな!」 思わず語気を強めてしまった自分に舌打ちし、声のトーンをやや上げる。 「悪い、すぐに風呂の準備を頼む……酷く汗をかいてしまって気持ち悪いんだ」 「かしこまりました」 去ってゆく足音を聞きながら、どこか意外な気持ちがしていた。 発した自分の声が、小さくかすれている。 (何故だ……?) どうして?別になんてことないことなのに。 それなのに身動きができなくて、そのまま冷たい床の上にへたり込んでいた。 どうってことない。なんでもない。 なのに、動けない。 知れず、大きく息を吐いていた。と、 (……?) 内から外へと。 粘性の高いものがゆっくりと伝ってくる。 「っつ……」 ぴりっとした痛みと共に、床と肌の間に這う液体。 震える指を下腹部にあてがい、ぐっと圧を加える。 トロトロと排出されるものが、何であるのか思い至ったと同時に再生する、声。 『あんたが……なら……』 やけに心臓の音が大きく聞こえた。 『オレ様が王の……』 どくどくと、頭で脈打つ鼓動。 『……もったいねぇなぁ……』 「……っ、はっ……」 今もすぐ耳元で囁かれているような錯覚をおぼえて、うまく呼吸ができない。 抑えろ、こんな反応。 なんてこと無い、何でもないことなんだ!! 「ファラオ、整いましたが……」 いやに遠い声。 冷えて強張る指を握り締め、まるで潰されてしまったかのように感じる喉から、無理やり言葉を搾り出した。 「ありがとう。……ああ、今日は誰もつかなくていい。一人で考えたいことがあるから。皆、下がってくれ」 努めて、普段どおりに。 普段の、……対応。 (今だけは……) (誰も、見ないで) こんなオレを。 再び訪れた静けさの中、アテムは一人、震える己の身を強く抱きしめていた。 |