■〜秘密〜■
〈 四 〉 20070527
「ファラオ!」 大きな声で呼び止められ、アテムはぴくりと足を止めた。 細く長い廊下の向こうに、もう、謁見の間は見えているのに。 仕方なく、そろそろと振り向くと。背後から小走りに近づいてきたのは小柄な老人だった。 「何だ、シモンか……」 自室を出て、最初に接したのは人一倍心配性の側近。 ボロを出さぬようにとアテムは気を引き締める。 立ち止まったアテムに追いつくと、シモンは「こちらへ……」と何やら神妙な面持ちで彼の腕を取る。そのまま、人目につかない柱の陰へとアテムの身を押しやった。 柱と壁の間の狭い空間で、ピタリと体を寄せてくるのが、華奢なアテムよりも更に背が低く小さなシモンであったことに、アテムはどこかでホッとしていた。 牡を感じさせるものは、シモンのどこにもなかったから。 けれども、誰よりも近い存在である爺――シモンは亡くなったアテムの母である王妃の実父……つまり、彼にとっては祖父に当たるのだ――の、ひどく真面目な顔を間近にし、妙な緊張を強いられた。 「少々、お話が……」 「今日は朝一番にシリアからの使者殿と面会があっただろう?急がねば……」 無意識のうちに、アテムはらしくなくこの場から逃げようとしていた。 「ですから、その前に、と」 シモンはアテムによく似た大きな瞳で彼を捕らえそれを許さない。 「ファラオ。本日の湯浴みはお傍に誰も控えさせなかったとか」 「…………」 「しかも、衣装係が伺う前に、身支度まで。ご自分で!」 アテムは、必死で言い訳を考える、が、結局。 「…………。それは、少し……1人で考えたいことが、あったから……」 消え入りそうな声で、そう答えるのがやっとだった。 アテムは決してそれを表に出さなかったけれど (どうしよう、どうしよう……) 動揺は、心を大きく揺らしていた。 やはり、どこかおかしかったのだろうか?シモンは今も何か感じ取っているかもしれない。 問い詰められたら、どうすれば良いのだろう―― (知られたくない) あんなこと、この爺が知ったら。きっと、きっと悲しむ。それは分かる、どうしても解かってしまうのだ。いつもこの自分を大切に愛してくれる人だから。だからこそ、事実の先にあるこの胸の苦しみも絶対に知られてはならなかった。 「それです!」 だが、シモンの反応は、アテムが考えていたものとは違っていた。 「ああ、ファラオ……いえ、アテム様!爺には、貴方様のお心が痛いほど分かりますぞ」 「え……」 顔面を包む布の隙間から覗くその瞳を潤ませて。シモンはアテムの手をきゅっと握り締める。 「先王のこと……さぞかしお心を痛められたことでしょう。けれども、個人的感情に流されることなく、卑しい盗賊めを退けたお姿はご立派でございました。貴方様がこれ以上の制裁を下されなくとも、必ずやあの狼藉者は捕らえられその行為に相応しい報いを受けることとなりましょう。アテム様、この爺がついておりまする。ですから、どうかお1人でお抱えにならず!ここならば誰の目にも触れませぬ。お胸に痞えているものがあるならば、わたくしめにお吐き出し下さいませ……」 そうして、じっと見つめる真っ直ぐな瞳を、アテムは受け止めることが出来なかった。ふぃっと視線を外し、抑えた声で呟く。 「ありがとう、シモン。でも、大丈夫だ。オレは、大丈夫……」 自分の手を強く握り締めるシワだらけの甲を撫で。やんわりとそれを外させると、今度はしっかりと視線を合わせて付け加えた。 「オレは、王だ。だから、シモン……甘やかすな」 「ファラオ……」 ますます目を潤ませて、シモンはアテムを見上げていた。 深い情を感じさせるその視線は、アテムの心をちくり、ちくりと刺していた。 (父上……) 申し訳なさで、いっぱいで。 (爺、……違うんだ……。オレ、オレは……サイテーだな……) その日。 一日の公務が終わる、その時まで。 誰もファラオの『異変』に気づかなかった。 アテムはいつもと変わらず、普段どおりに自分の役目を果たしてみせた。 顔色ひとつ変えず、表情も曇らせず。 大きな瞳は力強く、しっかりとした声で場をまとめあげていた。 もし、1人でも彼の肌に直に触れる者があったなら。 きっと、〈それ〉に簡単に気づくことができただろう。 だが、〈それ〉を最初に伝えたのは…・…皮肉にも、その原因を作った男だった。 |
* * *
(もう少し……) そう、自分に言い聞かせて。アテムは最後の業務で書庫室に篭っていた。 だんだんと夜の闇が押し寄せてきて、得体の知れない不安に飲み込まれてしまいそうで怖かったけれど。自分の中に居座り続ける影を振り払いながら、なんとか目の前の仕事に没頭しようと努めていた。 (もう、あと、ちょっと……) もう少しで、無事に『今日』が終わるのだ。早く、『自分』に戻りたい。そうすれば、心のままに、父のことをゆっくり考えられるから。 日中アテムの心を占めていたのは、そのことばかりだった。 あの時、バクラが、父アクナムカノン王のミイラを足蹴にした時。 確かにアテムは全身の血が沸騰するような怒りを感じた。けれど、シモンの言う通り、その感情は父を想う子が感じる私的感情であって、王として起こす行動の原動力にしてはならないものだった。アテムにとって、ファラオが感じてはならない憤りだったのだ。だからあれは。自分としては、バクラに与えた制裁は妥当なものだったと思う。 後に、セトにその対処の甘さを責められたけれど。 あれは、あの時点では、最善の方法だったと信じた。 だが、バクラは―― 『そうやって高いとこから憐れんでいられるのは――』 思いもよらないことを突きつけられて、分からなくなってきた。一体、自分はどうするべきだったのか。憐れんでいた?確かに全力ではなかった、意識して手を抜いた、それが。 『そういうトコがおキレイだってんだよ』 どうすれば、良かったと……? 感じたままに、怒りをぶつけて。 そうして殺してしまってもよかったと? ああ、それならば。 あの場で、父への侮辱は清算できた。 そうすれば……、今の、この苦しみはなかった…… (結局、自分の為じゃないか……) ぶんぶんと、頭を振って。 (集中しろ、今は、まだ『王』だ) 『自分』を、抑えつけた。 バクラ襲撃がもたらした、多くの刺激。それに触発され生じた様々な思いがぐちゃぐちゃに絡まって。疲労と共にますます意識は内に向き、アテムは、遠くで扉が開閉した音にも全く気づかなかった。 室内に入り込んだ、他人の気配。 ひたひたと、近づいてくる足音。 そのどれにも、気づけない。 (早く終わらせて、……部屋へ……) また深く、沈んでゆく。 意識が、内の層へ。 (戻りたい) あの、部屋へ。唯一、気を抜ける、あの部屋へ。 ……でも、戻りたくない。この長い夜を1人で過ごすのが怖くて。気を抜けば、きっと嫌でも思い出してしまうだろう……あの部屋は、昨夜と何も変わらないのだから。今でさえ、この闇が余計な考えを起こさせる。もしも、また、あいつがいたら。あそこで待っていたら―― 突然、肩に触れられて。意識は急浮上した。 「ひっ……」 びくっと大きく体を揺らし、思わず悲鳴を漏らしてしまう。 「!!ファラオ?」 驚いたように自分を呼ぶ声は、よく知った人のものだった。 ドッドッドッと荒く打つ自身の鼓動を叱咤して、そうして、振り返り恐る恐る確認する。 その先に立っていたのは 「……セト……?」 難しい顔をした、長身の男だった。 「どうなさったのです?驚かせるつもりはなかったのですが……」 「い、いや……あの、急に掴まれたから……」 平静を装ったが、声の震えはどうしても抑えられず。悟られないように口の中で囁くように呟いた。 「随分とお呼びしたのですが。お耳に届いていなかったようですので、已む無く触れたまでです。掴むほどは……」 セトは、戸惑った様子でアテムを見つめていた。 取り繕うように、アテムは笑顔を作ってセトを見上げる。 「そう、か。悪かった、集中し過ぎてたかな……全然気づかなかった」 「気づかなかったなどと……もし私が敵であったら、どうなさるおつもりで?こんなに容易く背中を取られるようでは、国や民を守る以前にご自身の身が危ういではありませんか。いくら宮殿内でも用心に越したことはありません。まずは、ご自分でご自分を守れるように。しっかりなさいませよ、ファラオ」 「……ああ」 セトはいつも厳しいけれど。その言葉は今のアテムには何よりも辛かった。 (そうだよな、そう、いつもお前は言ってくれてたのに……) 「それはそうと、まだ、お手は空きませんか?」 「何か、用か?」 「いえ、用というほどのものではございませんが……ひとつ、お付き合い頂きたいことが……」 セトにしては歯切れが悪かった。アテムもその先を促すことはせず、黙り込む。 適当な理由をつけて、早くセトの傍を離れなければ。 セトは、誰よりもアテムの変化に敏感だった。最も気を使わねばならない相手なのだ。もしも下手な素振りを見咎められ追求されでもしたら。アテムはセトだけは騙し通す自信がなかった。だから、なるべく二人きりにならないよう気をつけていたのに。 なのに、寄りによって狭く暗いこの書庫室で、大きなセトと二人きり。 アテムは何気なく、セトとの距離を取った。そして、目に付いた適当な書物を手に取り、視線を落とすふりをして表情を隠すと硬い声で告げた。 「それは、今でないと駄目か?これが済んだら、もう休みたいのだが」 「できましたら、これから。……『神』と、お手合わせを願いたい」 蒼い瞳の中に、ゆらりと炎が立ち昇っていた。 アテムが従える『神』 神の化身と謳われるファラオの中でも、選ばれし王のみが操れる、最高位の僕。 それは、これまで実際に召喚されたことはなく、その存在は王家に伝わる伝説となっていた。 どのような僕でも、名を知らねば従え操ることはできない。また、その姿を脳裏に思い浮かべられねば、具現化することもできない。 誰に教えられたわけでもなく、神の名もそして神の姿も。気がつけば当然のようにアテムの中にあったのだ。 アテムが知っている『神』は、現在三体。 そのうちの一体『王宮の巨神』を、バクラのディアバウンドに対抗する為に初めて人目に晒した。ディアバウンドは、そんじょそこらの魔物とはわけが違う。あれは、『魔物』とは到底言えず『神』の領域を侵さんとするほどの力を持っていた。 ディアバウンドの姿を認めたアテムは即座にそれを見抜き、だからこそ『神』を呼んだのだ。 「手合わせ……?」 聞き返しながらも、アテムには解かっていた。セトが、何を考えているのか。好戦的な、そして負けず嫌いな彼の性格を近くで感じ続けてきたから。 セトは、『神』とディアバウンドの戦いをその目で見て、強大な力のぶつかり合いを肌で感じて。きっと自らの力を測りたいと思ったはず。 「はい、是非」 「……それは、できない……」 「……私の僕では、相手にならない、と……?」 「そうではない。そうではなくて……」 セトの気持ちは分かる。けれど、今の状態で『神』を召喚することは、アテムにとって負担がかかりすぎるのだ。呼び出すことは出来ても、「手合わせ」など。 力比べをすれば、すぐにバレてしまう……自らの不調が。セトに、その一片でも感じさせるわけにはいかなかった。不具合の理由を、彼を納得させるだけのきちんとした訳を、アテムは準備することができないから。 それだけではない。無理をして僕を戦わせて。万が一、自分が倒れでもしてしまったら?きっと立ち上がることは出来ない……それで、騒ぎにでもなってしまったら?!今日一日の努力が水の泡だ。誰にも、この体を見せる訳にはいかない。せめて、今夜だけでもやり過ごさねば。 だが、この勝負を断わる理由がまだ―― 逡巡するアテムに、畳み掛けるようにセトは口を開いた。 「昨日も申し上げましたが、私は納得してはおりません。あの場で不届きな狼藉者を始末しなかった、貴方の判断を」 「だから、言っただろう?オレはバクラを捕らえる事を第一とした。あの攻撃でヤツの動きは押さえられると思ったんだ。けれどヤツの力はオレの予想を上回っていた。結果、逃がしてしまった訳だが……捕らえる事が出来なかったことについては完全にオレに非がある、そういう意味では判断ミスだ。だが、命を奪うことは……」 「ええ、ですからそれが甘いと申し上げました。王墓を荒らしただけでも到底許され得ぬ行為、そのうえ先王を足蹴にするなど!ヤツは死を以って償うべき罪を犯したのです。私なら、命を奪うことも止むを得ないとし全力で叩いたでしょう。けれど貴方がそれを望まぬのなら……、仕方のないことです。ヤツを逃がしてしまったという結果など、どうでも良いのです。ただ、貴方の判断について納得できない私に、せめて確認させて頂きたい」 「確、認……?でも、」 「どうか、最後までお聞きください。私は、あの時、自身の精霊を使うことを躊躇しました。ヤツの言うように、私自身が倒れてしまうことを恐れたからです。ですが、それは、未知なる力を持つ敵の前で安易に切り札を晒すような行動を愚かであると判断したからであって、己の命が惜しかったわけではない、それは……」 「それは、分かってる。だから、オレが介入したんだ。ヤツの……あれは、その辺の魔物とはワケが違う。れっきとした精霊だった。しかもあの輝きは『神』のそれに酷似している。対抗できるのは、『神』しかいない」 「ならば、ご理解頂けるでしょう。私は『神』の一撃を、そのたった一撃を目にしただけですが。『神』は、確実にディアバウンドより力が上。ディアバウンドの上をいく『神』と勝負することで、私の精霊デュオスが、ヤツのディアバウンドにどれほど迫れるのか、私は確認したいのです。ですから、『神』とお手合わせを願いたい、と」 「…………」 セトは、真剣だった。その願いを拒絶することは、アテムにはできなかった。 「分かった……少しだけ、なら。これを片付けたらすぐ行くから、先に闘技場で待っていてくれ……」 「では」 いつも仏頂面のセトがふっと嬉しそうに唇を緩め。アテムに一礼すると、静かに踵を返した。 セトの姿が視界から消えてしまったのを確認して。 深く息を吐きながら、アテムはぐったりと棚にもたれかかった。 とにかく、やるしかない。あんなふうに言われたら、受けざるを得ないではないか。この状況は、全て自分の至らなさが招いたことなのだ。それが理由である限り、逃げることなどアテムにはどうしても出来なかった。 腕を上げるのも億劫に感じるくらい、体が重たい。眩暈は酷くなる一方だし、部屋はひんやりとしているのにやけに暑かった。だるさを肯定するかのように滲む、額の汗が憎らしい。 それでも、やらねば。これが今日最後の仕事と思って。どうにか、気をしっかり持って……全力でセトの相手をするしかない。 「あと、少し……」 自分に言い聞かせるように、アテムはそっと呟いていた。 闘技場へ行くには一旦外へと出なければならない。 外気は冷たく、そこはすっかり闇に支配されていた。 月も星も出ていない、不気味なほどに暗い夜だった。 (……?……) 妙に自分の心臓の音が気になる。 深呼吸をしても落ち着かなくて。 なんだか、オカシイ…… 「セト……?」 大きく立ちはだかっているようにも思える扉を開き、闘技場の中に足を踏み入れた。 壁にぽつぽつと灯された蝋燭でそこはうっすら明るかった。けれど、仄かな光の中のどこにも、セトの姿は見当たらない。 「まだ、来てないのか」 ほぅっと力を抜き、ここに来るだけで乱れてしまった呼吸を整える。 と、 ふいに、全ての明かりが消えた。 「!?」 訪れた闇がアテムの前に連れて来たものは―― 「ごくろーさん……」 ざわっと、全身の毛が逆立った。 (この、声……) 空耳と思いたかった。 同じ、だ。耳の奥に残り続けるあの低い声と……! ゆっくりとアテムの目は見開かれる。 「……あ……」 「だいぶ、具合が悪そうだなぁ……って、オレが言うな?しっかし、まぁ。あんたも難儀な性格だね」 闘技場奥の、大きな柱の影から姿を現したのは。 「……な、んで……」 二度と、見たくない顔だったのに。 「ちょいと、確かめたいことがあってな……」 軽い口調には不釣合いな、ひどく真面目な表情をしてバクラはアテムの前に立っていた。 「……ここっ、に、何故」 記憶の中のバクラには、あれほど恐怖を感じていたのに。 今のアテムを襲ったものは全く違う思いだった。 こいつは、いつからここにいる?セトは、まだ、来ていなかったのか? それとも、まさか…… 「邪魔しちゃ悪いとは思ったんだけどな。あんたと、神官サマの、あ・い・び・き・の、さ」 獲物を射すくめる、残酷な光がアテムを見つめている。 「貴様、まさかセトを」 バクラの力は……すでに、回復しているのだろうか。 もう、ディアバウンドを操れるまでに? だとしたら、だとしたら!! 「……だったら、どうする?『神』以外、相手になんねーもんなぁ……」 その瞬間、息も出来ないほどの激しい感情がアテムの心を支配した。それまでの頼りなさがウソのように、指の先まで力が漲って。そして、彼はあの『神』を思った。 けれど。 「?」 そこにあったのは、虚無。 当然いるべき筈の大きな存在はアテムの中のどこにも見つからず。 ぽっかりと穴が空いたように空虚だった。 「え……?」 いない、どこにも。 かの『神』は、どんな姿をしていた?その名は、何であった?! アテムの先制攻撃を警戒し、一瞬身構えたバクラだったが。 すぐに肩の力を抜き、呆然とするアテムの様子を予想していたかのように眺める。 やがて、落ち着き払った声でひとりごちた。 「『神』サマ、見失っちまったか……」 「!?」 「一つ、答えてくんねーか。昨日は聞きそびれちまったからよ……っつーか、あんた口利ける状態じゃなかったし」 「…………」 『神』の召喚に失敗し、そして突きつけられる昨夜の『現実』にアテムはさらに狼狽した。 バクラは、かまわず続ける。 「何故、オレ様を、殺さなかった?」 「殺、す……」 「ああ。その理由をきちんと知っておこうと思ってな……あんたを、殺る前に」 とても静かな声で。バクラはさらりとそんな風に言った。 「オレを、……」 今?ここで? アテムが万全じゃないことは予想できただろうが、それでも『殺せる』と自信を持てる程……やはりバクラの力は回復しているのだ。ということは、セトは…… 「貴様、ここであいつをっ」 「だーかーらー。オレ様の質問に答えたら、あんたの心配してる誰かさんの行方を教えてやるよ」 めんどくさそうに、バクラは唸る。 「オレが、貴様を殺さなかった理由?そんなの、殺す理由がなかったからだ」 「理由が、ない……?おいおい、あんたの親父の墓を暴いてよ?その上本人を足蹴にしたような人間だぜ?元・王を、だぜ?!」 「だから、それは、理由にならない……それより」 「ちょっと待てよ。なら、何かい?王サマは、おやっさんがどんなに虚仮にされても平気だってのか?」 心底可笑しそうに、バクラは笑っていた。 ずきずき痛む胸を押さえながら、アテムは『王』の顔で答える。 「オレがどう感じたかは貴様に関係ない。ただ、あれが、『父』だから、『先王』だからという理由で貴様を殺すことはないと言っているんだ」 「……とりあえず、てめぇがワザと手を抜いたってことに間違いはねぇんだな……」 「ああ、抜いた。全力でやったら、それこそ殺してしまうかも知れなかったから。貴様の行いは悪しき行為だが、既に亡き者への冒涜は、死で贖うものではない。生きて、その罪を悔い改めさせるべきだと判断した。だから」 「なら、あんたはどういう罪なら殺しても良いと判断するんだ?本当は今、オレを殺したいんじゃねーの?昨日のこと、忘れちゃいないだろ?あんた自身が辱めを受けてもその気にならねぇの?」 「……それは、……どうでもいい。簡単に奪って良い命なんて、ない」 「…………」 「それよりっ」 「ああ、『神官』サマのこと?」 冷たい声で呟くと、バクラはアテムの方に一歩、足を踏み出した。 まっすぐに、アテムの目を見つめながら。 それを受け、アテムの中で少しずつ大きくなる昨夜の記憶。目の前にいるのは現実の男なのだ。知らず、アテムは後ずさりをしていた。 じりじりと、距離は縮まって。 もともと空間の端に立っていた彼は、すぐに背中を壁にぶつけた。 「知りたいんだろ?逃げんなよ」 低く、迫られる。 「逃げて、など……」 言葉の上では、強気だったけれど。視線は完全に泳いでいた。 「ハッキリ聞こえるように、教えてやろうと思ってさ。耳、貸してみなよ」 「っ……」 追い詰められて。 バクラの息が顔にかかりびくんと身をすくめる。脇に逃げようにもアテムの体はどうしても言うことを聞いてはくれなかった。膝は小刻みに震え、息を吸うこともままならない。 それは自然な反応だった。心に深く刻み込まれたバクラへの恐れを一晩で忘れることなどできるはずが無かった。 「触るな……!」 「まぁ、聞きなって」 視線も合わせることが出来ないアテムを壁に押さえつけ、バクラは彼の耳元に唇を寄せた。 「もうすぐ、ここに来る、ぜ……ああ、もう、じきに来る。オレ達の『お楽しみ』の瞬間を、見てもらえるな……?」 「!!来てっ、まだ……?手は、出してないんだな?」 「オレはあんたで手いっぱいだぜ?んな、めんどくせーこと、しねーよ」 動けないでいるアテムの衣の裾から、バクラは遠慮なく手を滑り込ませる。 「やめろ……」 力なく拒絶を口にするアテムを無視して。直接肌に指を這わせる。 「誰も、気づかなかったろ?なんつったって、『秘密』だからな……」 「…………」 「オレの、『しるし』。あんたが頑張ったご褒美に、全部隠れるようにしてやったんだぜ?」 「…………、わざと……」 「そう。あんたが見せない限り、誰も知ることはない。見られたら、一発でバレちまうよなぁこんだけヘンなトコにもあったらさ」 すすす、と、内股を撫で上げて。 「っ、…………」 「あーあ、こりゃ……ホント、随分と……」 本気で呆れたように、バクラがため息をついた瞬間。 ギィ……と、扉の開く音がし。 「ファラオ……?」 伺うような声が、遠くに聞こえた。 バクラはにやりと薄ら笑い、息を呑み体を硬直させたアテムに耳打ちをする。 「知られたくねぇんだよな、あんたは。オレと、ナニしたの」 「!?」 「ま、いいさ。とりあえず、『確認』はできた。あんたを始末するのは後回し。先にあっち、だな」 「なっ」 「オレはまた、罪を犯すぜ?これでもあんたは許せるかな……?」 そうして、バクラはアテムから体を離し、声の方へと意識を向けた。 その意図を理解して。アテムは震える手を必死で伸ばした、が、届かない。 届いたとしても、今のアテムにこの男の行動を止められるだけの力はない…… (絶対に……!) 止めなければ、止めなければ。 止めなければ! (させるものか!!) バクラとセトの間に、眩い閃光が走る。 それはまるで、いかずちの様で。 「なっ?!」 バクラが振り返るのと、『それ』が具現化したのは同時だった。 「?!ファラオ?と、貴様、は……バクラ!」 不可思議な光源の中にバクラの姿を認めたセトは、また、突然頭上に現れた巨大な影を見上げた。 「これ、は……」 爛々と輝く金色の瞳と、大きく開いた口から覗く鋭い牙。 流れるように紅く光る鱗を全身に纏い、バクラを威嚇するようにそこに浮かんでいたのは 『天空の竜王』 アテムは、2体目の神を呼んでいた。 「くっ、くくく……」 その威圧感に怯むことなく、バクラは声を漏らし笑ってみせた。 「『あれ』だけじゃぁ、なかったんだな……さすが、王サマ。っとと、おいおい……」 顔をしかめ、新たに現れたセトの精霊に舌打ちする。 殺気を隠そうともせず目の前に立ちはだかるセトを見据え、バクラは口を開いた。 「ったく、うっせーなぁ……てめぇはお呼びじゃないんだよ、ひっこんでな。雑魚の相手をしてる場合じゃねぇ、新しい『神』が出てきたとなっちゃこっちも作戦変更だなぁ……」 「逃がすか!」 「オレよりもさぁ。気の毒に……早く王サマどうにかしてやれば?あんたら一日傍にいて誰も気づかないでやんのな」 「バクラ!」 アテムは顔色を変えたが、バクラはセトを睨みつけたまま続けた。 「『なに』を見てるんだか。このままオレは消えてやる。だからさっさと連れてけよ、もうこれ以上はもたないんじゃねーの?こんなデカいの呼んじまったらさ」 言いながら、バクラはその姿を暗闇に溶かしてゆく。 「なんだと……?」 バクラの発言に惑わされ、セトは一撃も与えることなく、男の体を失った。 「くそっ」と腹立たしげに吐き捨てて、セトは何の動きも見せなかった『神』に視線を移す。 竜王は、すぅっと音もなく消えてゆこうとしていた。 慌ててアテムを振り返れば、小さな体はぐらりと揺れ。 「ファラオ!!」 駆け寄り、すんでのところでアテムを抱きとめる。 セトは、必然的に彼を胸の中に納めることになったのだが。 「え……」 小さく驚きの声を上げ、まじまじと主の姿を見つめた。 アテムの体は、衣の上からもハッキリと分るほど熱かったのだ。 躊躇しながらそっと彼の頬に触れてみる。 「…………」 セトは漸く、アテムの状態を、理解したのだった。 |