■〜SECRET〜■


〈 5 〉 20071118



闇が、支配する。



薄墨のような暗がりは少しずつ濃度を上げ、男の感情を乗せ更に粘度を増してゆく。

王宮の外壁に陰が落ちる頃には、警備の兵の数は倍以上に増えていた。
その様子を遠くから見つめる暗灰色の瞳は、静かに命を下す。

「よろしく頼むぜ、相棒」

巨大な精霊獣の特殊能力。
ズ、ズ、ズ……と音を立てながら、筋肉質の体が黒に侵食され始めた。
皮膚の隙間から内部に入り込むその感覚。どろり、どろりとタール状の汚物が這うようで酷く心地よい。
経の隅々にまで『闇』は浸透し。バクラの姿は景色に溶け込む。


光は、苦手だ。
明るくすべてを照らし出す、あの眩い光は。
何もかも見透かされているようで、居心地が悪い。自分は、やはり

「闇の、申し子」

誰の目にも触れることのない口元は、ゆがんだ笑みを浮かべた。
そうして一歩一歩、ゆっくりと足を進める。



バクラは悠然と門の正面に佇んでみせた。
兵たちの緊張は解かれてはいない。昨日、散々暴れまわった入り口。目に付く者は全て血祭りにあげた。仲間の惨殺体を片付けさせられた者もこの中にいるだろう。ピリピリと音がしそうなほど神経を尖らせて、厳重に警備は成されていた。

再び引っ掻き回すのも面白いかもしれない。だが。

(運が、良かったな)

今夜は騒ぎにしたくないから。
穏やかな感情を保ち門前を守る兵士の真横をすり抜ける。

(……王サマ。自分の身は、自分で守らなきゃ、だぜ)

そうして、盗賊は難なく王宮の内側へと足を踏み入れたのだった。










そこは、とてつもなく大きい。


天井も高く、無駄としか思えない空間が目の前に広がっていた。
確かに、この中で働く人間は大勢いるだろうけれど。こうして権威を見える形にされると、一体そんなものにどれほどの意味があるのかと、全くもって馬鹿バカしい気分になってくる。

王の職務というものがどんなものか分かる筈もないから。
アテムが現在どこにいるのか、バクラには検討もつかない。

盗賊家業を生業としているからなのか、もともとの素質なのか。バクラは訪れた『場所』というものを間違いなく記憶に残すことができた。どんなに広く、迷宮のように入り組んでいる建物内でも、一度でも歩けばその先に何があるのか確実に予測できる。

昨日、外に逃げたフリをして陰に身を潜め、バクラはアテムの背中を執拗に追った。
最初に戦いを挑んだ大広間から、書斎、謁見の間、祈祷室。そして……

(寝室)

ふと、気になった。あの部屋は今、どうなっているのだろう?
彼はどう後始末をしたのだろうか。一応、体に刻んだ『しるし』は王が身につけていた衣や装飾品で全て隠れるようにしてある。隠す気があるならば、決して他者の目に触れないだろう。
しかし……寝台の、あの純白の布は。
二人の体液で無残にも穢された。何よりも、身を裂かれたアテムの鮮血。純白のキャンバスに散らばったあの紅は、消すことも隠すこともできはしない。

(どーした?あの、『ケガレの証』を)

興味をひかれた。
この広い王宮内を探し回るよりも、効率はいい。あそこで待っていればいずれ彼は戻ってくる。……まさか、昨日の今日でバクラがやってくるとは思わないだろうから。
まちぶせて、恐怖にゆがむ顔を拝むのも悪くない。





鼻歌混じりで気分よく寝室に向かう。
もう何度も通いつめているような軽い足取り。バクラは迷うことなく目的地へたどり着いた。
扉を開く前、ほんの少しだけ。寝台の上に横たわる彼の姿を期待したけれど。
人の気配はそこにはなかった。

(…………。まだ、早い、か)

いても、おかしくないと思う。昨夜、あれだけ激しく攻めたのだ。未発達で華奢な体が彼の意思どおり動くとは考え難いのだが……それなのに起き上がり、そして政を難なくこなしているとでも言うのだろうか。

(どんな顔して……?そこまで隠せるか?あれは……)

肉体的にも精神的にも、相当な負担を抱えている筈だから。傍につく人間が一人くらい妙に思ってもいいような気がする。
そんなことをぼんやりと考えながら、主のいない部屋の中へと踏み込んだ。
用心深く誰もいないことを確認し、それからやっとディアバウンドを収め姿を現した。
ざっと見たところ、部屋の中は特に変わりなかった。あんなことが起こったとは、きっと誰も気づかないだろう。それほど、動揺のかけらも見つけられない整然とした空気だった。

問題の寝台に近づく。そこは真新しい布で覆われていた。
あれをどこにやったのだろう。誰かに、片付けさせた……?いや、絶対にそれはない。なら、自分で?
昨夜はそんな余裕もなかったから、じっくりと部屋の中を観察しながら探りを入れてみた。

静かで落ち着いた室内。彼の姿勢が伺える様に、品が良く決して華美ではない。木枠の窓に張られた布も、床を覆う敷物も、柔らかい色彩で統一されている。家具は必要最低限のものしか置かれておらず、だがその一つ一つにさりげなくも美しい装飾が施されていた。寝台に、簡単な作業ができる程度の小さな机と椅子。あとは、大小の籠や蓋付きの籐で編まれた葛篭……。

(蓋、付き……)

ピンときた。盗賊の、勘。
プライベートな香りがする。あれはきっと、彼しか触らないもの。
無言で歩み寄り、そっと蓋を開けてみる。

「…………」

やはり。

開けた瞬間、むわっと立ち上る異臭。それが己の残した雄の臭いと自覚してバクラは頬を歪めた。小さくたたまれ、四角い箱の中に無造作に押し込まれている白い物体は間違いなく昨夜の陵辱の証。
目に浮かぶ……必死でこれを隠そうとした彼の姿。恐れて、動揺して。泣きそうな顔で消そうとしたのだ、あれが現実であったという証拠を……。
こんなところにいつまでも置いておけるわけがないとバクラは思うけれど。きっと誰にも言えなくて。アテムは、他にどうしようもなかったのだ。

「……健気、だね……」

恐らく、他の人間だったなら、冷たく嘲った。この、憐れな行動を。しかし。

「あんたは、どこまで頑張るんだ……?」

無性に見たくなった。
今の、彼の顔を。

バクラはゆっくりと手を伸ばした。汚れたその布を取り出し、そして……無言で燃やした。
その場で、すぐに。精霊獣の特殊な炎はただその布だけを灰にした。最初からそこには何もなかった、と。僅かな糸の端も残さず、灰にした。

「秘密、だからさ」

この布を見つめ途方に暮れている背中を想像したら、どうしてだか、消したくなった。
彼の為じゃない、隠したいと思う彼の心を酌んだわけじゃない。ただ。彼と共同で作り上げたこのシミを何者の目にも触れさせたくなかった。こんなものが存在したことを知っているのは、この世でたった二人だけ。そして、いずれは

「こーゆーのもアリだよなぁ。そのまま……てめぇはあの世に持って行きな」

ほんの一握りしか残らなかった灰に、ふぅっと息を吹きかけて。
宙に舞う細かな粒を眺め呟いた。

「永遠に、消してやる……」

バクラの手の中にある、『神の力』
彼がその本体を失っているのなら、もう用はないから。
サラサラと散ったコレのように、彼の存在も。

「消す……」





随分と、夜が深くなってきた。窓際に立ち、空を見上げながらバクラはアテムを待ち続けた。
いつの間にか、雲が厚く天を覆い。微かに存在を主張していた月はすっかり姿を隠し地上を照らすものは何もなくなった。

「…………」

それを確認し、バクラはふいに動き出す。



なかなか戻って来ない王。
バクラにとって、『待つ』ことは全く苦にならない。物陰に身を潜め、機会が訪れるのを待つのは盗賊にとって何より必要なことだから。だが、『彼』が関わると。それまでのバクラの常識は通用しなくなってしまう。今夜も、いつものように獲物が罠にかかるのをじっと待っていることが出来ない。自ら、狩りに出たいという欲求が抑えられないのだ。こんなふうに求める気持ちを持つこと自体初めてで、どうにも落ち着かなかった。

この焦りの正体が『何なのか』分からぬまま、バクラは再びディアバウンドの力で姿を消し部屋の外へと出たのだった。

ただ闇雲に歩きまわってもアテムに出会う確率は低い。王が目的もなくうろうろしているとは思えない。どこか、彼が腰を落ちつけて政を行う場所がある筈だ。そんなふうに考えながら、人の気配を探った。下っ端の兵は王の行動など把握していないだろう。厳しい顔つきで警備をしている彼らには目もくれず、バクラは神経を研ぎ澄まし『緊張』を追いかけた。

それなりの立場にある者が存在すれば、場の空気は引き締まる。そこならば王に関する情報が集まるだろう。


まずアンテナに引っ掛かったのは、傲慢なまでの『気』
自信に満ち溢れ、立ちはだかる者をなぎ倒して行きそうな程の勢いだ。

広間の奥にその姿を確認した瞬間、バクラはムカつきを覚えた。それは前日、バクラにしつこく立ち向かってきた神官のものだった。最初から、この男はどうも気に入らない。それが、自分とよく似ている空気を持っているからなのだということに気付いてからは、一層嫌いになった。

突如、このまま殺してしまいたい衝動に襲われた。
騒ぎを起こしてでも。今すぐこいつを殺したいと。
理由はない。とにかく「気にくわない」のだ。

こんな無防備な状態なのだ、神の力を持つ今のディアバウンドならば、神官といえどもあっという間に決着はつく。

王に近しい人間を、王の力で殺す。

何となく思いついたその方法は、何だかとても愉快なものだった。
あの場にいた者は皆、見ている。この蒼の神を。



『何故、貴様がその力を持っている?』

驚き見開かれた目は、答えを得ることなくそのまま何も映さなくなる……



(いいんじゃねぇ?)

薄ら笑い、背の高い神官の背後に忍び寄る。
闇に紛れ、力を解放しようとした、その時。

「ファラオは、どちらへ?」

バクラの動きは止まる。

「先ほど、書庫室の方へ向かわれました」

神官は聞くや否や広間を出て行った。バクラもその後を追う。
運が良いのか悪いのか。
王の居場所は分かったけれど……

(命拾い、したな)

複雑な表情をして、暗い廊下を進んでいったのだった。


* * *



独特の古びた香り。
辿り着いたその空間は、天井が低く資料の山から受ける圧迫感で、随分と狭く感じた。

「ファラオ……?」

声をかけながらゆっくりと歩く神官の後に、バクラは続いていた。
十分な距離を取り、尚且つ細心の注意を払いながら。

バクラの姿は闇に溶け、肉眼で確認することは不可能だった。だが、ここに辿り着くまでの間、この長身の男は何度も後ろを振り向いたのだ。気配を消す事も、バクラにとっては息をするようなもの。すぐ傍に寄っても気づかれないという絶対の自信があった。完璧だったはずなのに。

神官の背後で、バクラはかつてないほど気を使わねばならなかったのだ。めったに体験しない緊張感を、とても不快に思った。



壁にずらりと列を成す小さな蝋燭の灯火で知る、薄暗い部屋の中。
立ち並ぶ大きな棚の各段に、沢山の書物が収められている。見通しが悪く、死角に入り込んでいるのか王の姿はなかなか見つからなかった。

「ファラオ」

伺うように何度も呼びかける声に対する返事はない。だが、随分と奥まで進んだところで漸く漏れ出た仄かな明かりが、彼の所在を教えていた。
棚の向こう側に神官は回りこむ。
そこでバクラの足は止まった。見えないはずの己の体を棚の陰に隠して顔の一部だけを覗かせた。

男の体の前に。あった……求めていた存在。
こちらに背を向けて、何かに没頭している。

(…………)

少なからず、バクラは驚いていた。

(ほぅ……)

心の中で、感嘆の息を漏らす。

少年は。
『何』も、感じさせなかった。

彼に降りかかった災難を知っているバクラにすら、一瞬、何もなかったのではと思わせるほど。
『普通』に立っていたのだ。


この暗さでは顔色は確認できないだろうが、少なくとも。小さな背中は、しっかりとしていた。
そこにいたのは、威厳に満ちた『王』でしかなかった。

「ファラオ」

数歩進めばもう手が触れる距離から神官は呼びかける。
けれど、やはり反応はない。

(……?)

何をそんなに熱心に……?バクラが眉を顰めた瞬間、

「ひっ……」

短い悲鳴と共に、場が凍りついた。



王の肩に手を置いたまま、固まる神官。
崩れ落ちてしまいそうに脆い気を曝け出した王。

「!!ファラオ?」
「……セト……?」

驚いている神官の名を呼ぶ声は、ひどく頼りない。

(…………)

バクラは、息を殺してそれを見守った。
鋭い視線で王を捉え放さずに。
何一つもらす事のないように、瞬きもせずに見つめる。



手に取るように分かる、アテムの動揺。その心音は、この耳にも届いてくるようだった。
震えそうな声を抑えながら、必死で取り繕っている。
ちらちらと横目で確認した神官は、戸惑ってはいるが王の態度を不審がってはいなかった。さすがに、彼の身に起こったことが分かる筈はないとは思うけれど。その『変化』にも、気付かないのか?
だから

「……ご自分でご自分を守れるように。しっかりなさいませよ、ファラオ」

平気で言える。そんな台詞が。



この場合、

気付かせない王を評価すべきか。

それとも、

気付けない神官を嘲笑うべきか。



二人の会話を聞きながら、二人の動きを観察しながら。
バクラはあることに気が付いた。

この、自信たっぷりな男は、神官でありながら王に対して『畏れ』を抱いていないのだ。敬意を払っているように見せてはいるが、どうにも言動が馴れ馴れしい。
一方、王も。臣下に対する振る舞いにしては心を許しすぎているような。
とても、『近い』二人。
互いに……寄り添う心。
『王』と『神官』が作り出す空気は、馴染みすぎるほど馴染んでいる。

(あんた、王だろ?)

誰に対してもそうなのか?それとも……



バクラはアテムという人間をよくは知らないけれど、理解はしていた。

これまでの人生で、どれだけ多くの人間と関わってきただろう。その中で、バクラは相手の本質を見抜く力を身に付けていた。アテム本人には、散々、支配者としての驕りを指摘し詰ってやったけれど。本当は、短時間の言葉のやりとりで結論を出していた。
アテムという人は、むやみやたらに権力を振りかざすタイプではないのだと。
この若さがそうさせるのか、それとも生まれ付いての性格なのか。そこまでは分からないけれど。どちらにしても、バクラはその姿勢を『甘い』と思う。だが、他方、認めていた。きっと、大多数の国民にとっては。この少年は『良き王』なのだろう、と。


そのまま、ぼそぼそと会話は続き。

「『神』と、お手合わせを願いたい」
(『神』!)

飛び込んできた、その言葉。

チャンスだと思った。
アテムが、神を未だその身に宿しているのか確認できる。
しかし彼は、やんわりと拒否した。さりげなく、神官と距離を取るその姿は、何かを『恐れて』いるように見える。

(恐れ……何に?)

怖いのか。
自分の身に起きた事を悟られるのが?それとも……力比べをすることが?
それは、もう、失くしてしまったから……?



結局。

熱心に懇願する神官に根負けし、王は渋々ながらも了承した。
約束を取り付けた神官は嬉しそうに踵を返し、バクラの鼻先をすり抜けて部屋を後にした。
一瞬迷ったが、バクラは神官の去った方向へと足を向けた。

ほうっと深いため息を背後に聞き、振り向けば。
アテムはぐったりと棚にもたれかかっていた。

「あと、少し……」

弱々しく呟く声。

(……そう、か……)

やはり、相当具合が悪いのだ。



バクラは我知らず。
神妙な面持ちで、その場を立ち去ったのだった。


* * *



何故、神官の方を追いかけたのだろう。

アテムは一人になった。
それはまたとない機会だったのに。

あそこで戦闘を繰り広げても、さして問題はなかった。あの状態の王ならば、例え神を所有していたとしても始末するのは簡単だ。わざわざ神官との手合わせを待たなくとも、その前に決着はつくはずだったのに。



『命を奪う事は……』
『私なら、命を奪うことも止むを得ないとし全力で叩いたでしょう……』

アテムに意見していた男。はっきりと、王の判断に異を唱え『甘い』と言い切った。
分かってしまった。この神官は、他の奴らとは違う。きっと、こいつだけなのだ……あんな風に王に接する事が出来るのは。それがアテムにとって、何を意味するか。

(邪魔、だな)

気に入らない。
だから消してしまおう。
どうして気に入らないのか、なんて理由は考えなくてもいい。
ただ、気に入らない。それだけ。

少し時間をおいて出てきてしまった為、神官の姿を見失ってしまった。けれどもバクラは慌てない。目的地は分かっているのだから、そこに向かえば良いのだ……アテムより先に。



暗い廊下を巡回していた兵を一人、捕まえた。
口を塞ぎ、ディアバウンドで脅しながら闘技場の場所を聞き出した。そうして、

「ありがとよ」

首を掻っ切り、あっさり始末する。
そのまま置いておくわけにもいかず、遺体を肩に担ぎその場所へと向かった。

荷物を抱えながら急ぎ足で進むバクラの意識が引っかけてしまった争いの空気。
直後、耳に届けられたのは。

「一度でも、あの方のお気持ちを考えた事がおありですか?」
「貴様には、関係ない」

声のする方向に注意し、目を凝らせば。
進路を塞いでいる二人の男の姿が視界に飛び込んできた。

ひとけのない、廊下の端で。手に持つ松明で相手の顔を浮き上がらせて。睨み合う、彼ら。
一人はバクラの獲物である神官。そしてもう一人は……柔らかな物腰の、長髪の男。

(またかよ……)

いささか、うんざりしていた。
昨日、アテムが一人になるまでずっと観察していたけれど。その僅かな時間の中ですら、何かと鼻についた二人の神官。全くタイプが異なるこの二人が、合うはずがないことは一目瞭然だった。そして、それぞれがあの少年に何らかの情を抱き、その点でも張り合っていることもバクラはすぐに見抜いた。

(……分かりやすすぎんだけど。恥ずかしくねーの?あんたら、さぁ……)

こう、トコロ構わずいがみ合っているならば。この王宮に生活する全ての人間が知っているのではないだろうか。そんな風にバクラは考えたが、自分の、人を『みる』能力が人並み以上であることは、バクラ自身には分からなかった。
曲がりなりにも国を守るお宝を手にする神官が、人目も憚らずくだらない感情を露わにする……こんなところが、バカみたいに平和だと思ってしまう。この閉ざされた狭い世界では、この程度のことで真剣になれるのだ。

二人の『想い』に、気付かないフリをしていたアテム。だが、三人の均衡は、それできっと保たれている。これからもずっと、変わらないでいる為に。

(けど、多分)

先ほどのやりとりで感じた。恐らく王は、この長身の男を……
胸の奥が、もやもやしていた。チっと軽く舌打ちし、そいつを振り払って考える。

(ま、どっちにしても。お先に頂いてしまいましたよ、神官サマ?)

口元を歪めて。そのまま、なんとなく彼らを見ていた。



「貴公は、あの方とは幼馴染の間柄。誰よりも長い時間を共に過ごしてきたのです。ならばお傍に仕える誰よりも、あの方のお心が理解できる筈。先王を辱めたバクラに対し、あの方は冷静に対処なさいました。お父君であろうと、王であろうとも。それを理由にした制裁を、あの方は与えられません。卑しい賊にすら、公平な裁きを下される。悔い改める機会を与えよと仰るのです。それなのに、貴公ときたらあんなふうに責めて……何故、ファラオのお心を素直に受け入れて下さらないのですか?あの方の、真のお気持ちを酌んで差し上げないのですか!?」
「真の、気持ちだと?ああ、そんなもの考えずとも感じるわ。だからこそ気分が悪いのだ。父王を目の前で足蹴にされて、なお『王』としての姿勢を崩されぬ。誰も言わんから、俺が言ったまでだ。あの盗賊は殺されて当然、始末する事の何が悪い?それだけのことを奴はしたのだとな!俺はファラオの判断には納得できん。奴は……危険だ。あの場で消しておかなかったことを、後悔する時が来る……そんな予感さえするほどな。貴様には分からんのか?バクラは、一介の盗人ではない。あれほどの精霊獣を身の内に潜ませ憎しみを糧に生きているような男だ。どう考えても、歓迎できる客じゃなかろうが。俺は俺の判断に従い、消すべきだと思ったからそう申し上げたのだ」
「それでも……言い方というものがあるでしょう?貴公に責められることが、あの方にとってどれほど辛いか……私にはよく分かるのです。王になられてからというもの、あの方の心からの笑顔を私は目にしたことがありません。……セト、貴公が反発する度に、あの方の笑顔は哀しくくもってゆくのですよ」
「貴様、何様のつもりだ?先王が受けた辱めは、貴様のぬるい警護に端を発しとるだろうが。ああもいいように荒らされるとはな!!ファラオの笑顔をくもらせる原因は、貴様にもあるのではないか?気付いておらんようだから、教えておいてやろう。今、貴様を突き動かしている感情は『罪悪感』。都合よくすりかえるな、その罪悪感が後押しする『想い』など、『偽善』だ。ファラオの御為と息巻いているがな、現在その胸にあるものは、不純なものなのだ」
「……私、は。本当に……」
「貴様の感情など、どうでもよい。俺は急いでいる、そこをどけ。それこそ、ファラオをお待たせすることになってしまうが……?」
「!このような夜更けに、何を!?」
「納得させて頂くだけだ。俺はもう一度。神を見る」
「セト!!」
「ファラオは俺の要求に応えられた。邪魔をするな」


互いに引かぬ言い争いは、いつ終わりを迎えるのだろうか。聞いているのがアホらしくなってきて、バクラはその場を離れた。

闘技場で。アテムの目の前に神官の躯を放り投げてやろうと思っていたのに。
予定が狂ってしまった。

(いや、当初の予定通りってトコか)

順序を逆にしてもいい、か。神官が来る前に、王を始末する、でも。





肩に担いだ遺体の教えたとおり、バクラはいったん宮殿の外に出る。
今夜は完璧なまでの闇夜だった。月も星も、鬱陶しい光を発するものはどこにもない。こんな夜は、思い通りにコトが運ぶものだ。それはバクラのジンクスだった。

しばらく歩くと、物々しい建物が姿を現した。
どっしりと重そうな扉。低い音を立てるそれを僅かに開き、隙間から体を滑り込ませた。


壁に埋め込まれた無数の蜀台には、大小様々な蝋燭が立てられていた。
一応、舞台を作り上げておくか……そうひとりごちて、特殊な炎を全ての蝋燭にくべ、一気に場を明るくした。ついでに。

「案内、ごくろーさん」

遺体も、燃やした。



しばらく、静かだった。
しん、と、耳に痛いほどの静寂が、あるはずのない音を脳裏に届ける。

興味本位で聞き耳を立てた男たちのやりとり。
その言葉のひとつひとつがバクラの記憶に刻まれていた。どれも、通り過ぎることはなかった。

『ファラオの、お気持ち……』

気持ち。
心。
……思いやり。

神官たちは、王をとても大切に思っている。ああやって、諍いを起こす程に。
バクラの人生にはなかった、人と人との繋がり、それは温かい絆。

「くだらねーなぁ……」

唾を吐きかけるように呟いたけれど。
どうしても自分の中から追い出すことが出来なかった。





バクラにも、親がいた。一族はいた、仲間もいた。けれど、どれとも繋がってはいなかった。
自分たちは完全なる『個』だったから。

物心ついた時から、ひとりきり。集団に属していても、皆、独りだった。各々で自身に対する責任を持ち、誰にも頼れず頼られず。もし失敗すれば、切り捨てられる。盗みを生業としていた彼らにとって、仲間の足を引っ張る者は邪魔なだけ。必要がなければ捨て置かれる。例え子供でも、役立たずは不要な存在だった。


あの日。
兵が大挙して押しかけ村を襲った、あの日。

皆、己のみを守った。
それは当たり前のことで、自分を犠牲にしてまで他者を助ける理由はなかった。実際にそんな人間、バクラの周りには一人もいなかった。我先にと逃げ惑い、大混乱となった中で。冷静に自分だけが身を隠せる僅かな隙間を見つけたバクラは死ななかった。
一人だから助かった。兵達は、小さなバクラの存在に最後まで気付くことはなかったから。
目の前で次々と狩られていく仲間を見ながら子供心ながらに思ったものだ。
自分を守れないのなら、生きる資格はない、と。

誰かの為に動くなんて、バクラの常識では絶対にありえない。だから、『王の為』に口論していた長髪の男を「とても感じが悪い」と思った。
王の為?自分の為だろうが。モノにしたいんだろ?気に入られたいんだろ?相手より自分を良く見て欲しいんだろ?それならそう言えよ、胸クソ悪い。妙な感情をこれ見よがしに曝け出すんじゃない。
長身の男の方が、まだマシな頭を持っている。バクラのことを、殺されて当然と言った。そう、自分はあの時殺されて当然だったのだ。それなのに、つまらない慈悲でとどめを刺さなかった王。

『後悔する時が来る』

……だからすぐに、来ただろう?

「ホント、残念だったな……」

むすっと不機嫌な顔しか見せない『まとも』な神官に、心から同情した。
分かっていたのに、結局貴様も阻止できなかったな。だが、弱いのだから仕方ない。貴様は、自分の力でオレを始末出来なかった。

「せめて。二人同じ場所で、殺ってやるよ。オレってやさしーからさぁ……」

抑揚のない声で呟いた、その時。
ギィ……と遠くで扉の開く音がして。

「セト……?」

囁くように呼びかける、王の声が響いた。





(……いらっしゃい)

闘技場の最奥――すきま風に揺れる仄かな灯りも届かないその場所で。
大きな柱に背を預けたまま、バクラはアテムを迎え入れた。

きょろきょろと辺りを見渡し、

「まだ、来てないのか」

ほっと吐息をつき肩の力を抜いた王を確認して。
音もなく身を起こす。


「!?」

一瞬で、全ての灯りを消した。
ぴんと張り詰める空気。きっと彼は無意識下で悟っただろう……再び罠にかかってしまった己の愚かさを。

「ごくろーさん……」

わざと、声を掛けてやった。一気に緊張は高まる。暗がりに慣れた目で確認した、彼の顔。恐れを含んだ表情は、気の毒なほど頼りなかった。

「……あ……」
「だいぶ、具合が悪そうだなぁ……って、オレが言うな?」

からかう様に言いながら、アテムの前に姿を現す。

「しっかし、まぁ。あんたも難儀な性格だね」

やつれて見える王に目を細め。
そんなに頑張る必要がどこにあるのかと、バクラは心底哀れんでいた。

「な、んで……」
「ちょいと、確かめたいことがあってな……」
「……ここっ、に、何故」
「邪魔しちゃ悪いとは思ったんだけどな。あんたと、神官サマの、あ・い・び・き・の、さ」
「貴様、まさかセトを」

(……おいおい、マジかよ……)

王の『恐れ』の理由は、バクラの考えていたものとは違っていた。

彼は、バクラと再会したことを恐れていたのではない。いや、全く無いと言うワケではないだろうがそれ以上に。あの神官が、バクラと出会ってしまうことを恐れているのだ。
彼らは、ディアバウンドの力を認めている。王は『神』しか太刀打ちできないと言い切った。つまり、目の前で青ざめているこの男は、力を取り戻したディアバウンドに自分以外の者が傷付けられる事を恐れているのだ。

ならば。

「……だったら、どうする?『神』以外、相手になんねーもんなぁ……」

軽い気持ちで、つついてみた。



瞬間、王から発せられたとてつもなく大きな圧力。
身を切りつける激しい風、骨まで焼かれてしまいそうな厳しい炎。そんな幻影がバクラに襲い掛かった。それは、この少年が初めて見せた『怒り』の感情だった。

(来る……!)

とっさにバクラは身構えた。
必ず、王は『神』を呼んだ、そう思ったから。

だが。
何も起こりはしなかった。

「え……?」

気の抜けたような王の声と、悲しいまでの虚脱感。

(ああ……)

落胆。
それは、呆然とするアテムの表情を見つめるバクラの、正直な感情だった。

「『神』サマ、見失っちまったか……」

失くした、のか。オレが盗ったから、失くしちまったのか。
次に訪れたのは、怒り。
何も、ないんだな?もう、どこにも持っていないんだな!?
あんたも所詮、『つまらない』モノだということか……!!
激しく荒れ狂う情に反して。

「一つ、答えてくんねーか……」

バクラの口から出たものはとても静かな音だった。



こんな結果も予想していたけれど、望んではいなかったのかもしれない。
本当は、なにか期待する部分があったのだ。バクラは確実に王の神を盗んでいたけれど、王は盗まれてもまだまだ何かを隠し持っていると。
決して空っぽにはならない、容量は、とてつもなく大きいのだ。際限なく、そこから何かが出てくるのだと……そんなふうに、勝手に期待していた。
だからバクラは、神の力を得たディアバウンドを思う存分暴れさせる事が出来ると喜んだ。
全力のこの男を叩きのめし、完全なる勝利を手に入れられると。信じてしまっていた。

それなのに……。

……今はただ。
苦々しい気持ちで、裏切られたとだけ思った。

「昨日は聞きそびれちまったからよ……っつーか、あんた口利ける状態じゃなかったし」

大きな目を見開いたまま、呆然としている王。
昨夜のことをちらっと匂わせると、さらに狼狽していた。

(その程度、だったのかよ……)

悲しいとすら、思った。
すぅっと引いていく熱が、とても寂しくて。
バクラは静かな声で聞いた。

「何故、オレ様を、殺さなかった?」
「殺、す……」
「ああ。その理由をきちんと知っておこうと思ってな……あんたを、殺る前に」

きちんと、彼の肉声で。彼の『心』を知っておこうと思った。
もう永遠に聞けなくなってしまうから、今の内に。
だが、

「オレを、……?っ!!貴様、ここであいつをっ」

自分が殺されると自覚しながらも、アテムはこの期に及んで神官のことだけを気にかけている。
それがまた、更にバクラを不愉快にした。

順序が逆になっただけだ、どちらにしても二人仲良く送ってやるから。
大人しく、質問に答えろ。

「だーかーらー。オレ様の質問に答えたら、あんたの心配してる誰かさんの行方を教えてやるよ」

交換条件を提示する。
意地悪く、焦らして。
そんなバクラに対し、焦りの色を浮かべながらもアテムはなんでもないことのように言う。

「そんなの、殺す理由がなかったからだ」
「理由が、ない……?」

本当に、腹立たしかった。
バカにしてんのか?殺す理由がない!?理由がないと殺さないのかっ!

(こりゃぁ、お笑い種だ。オレは理由なんて考えて殺したこたぁねぇよっ!)

「おいおい、あんたの親父の墓を暴いてよ?その上本人を足蹴にしたような人間だぜ?元・王を、だぜ!?」

これなら、あの神官の方がずっとまともだ。
そう、理由はあるのだ。父親を、この国を治めていた王を、バクラは足蹴にしたのだから!!

「だから、それは理由にならない……それより」
「ちょっと待てよ。なら、何かい?王サマは、おやっさんがどんなに虚仮にされても平気だってのか?」

笑い飛ばした。
こいつは本当に馬鹿なだけかもしれない。要するに、感覚がまともじゃないのだ。
バクラ自身は『親の為』なんて考えこれっぽっちも持ち合わせてはいないけれど、世間一般では、子は親を、親は子を、他人と違って大事にするものだということぐらい知っている。
この少年は、案外そういう常識から外れたところにいるのかもしれない。そういう理由なら、理解できるような気がする。

納得したらどうにも可笑しかった。だが、続く言葉に思考は止まる。

「オレがどう感じたかは貴様に関係ない。ただ、あれが、『父』だから、『先王』だからという理由で貴様を殺すことはないと言っているんだ」
(…………)

空気が、居心地の悪い方へと動き始めた。
昨夜も見た、まっすぐなアテムの瞳がやはり今も目の前にある。
同じだ、きっと。この王はきっと、また……

「とりあえず、てめぇがワザと手を抜いたってことに間違いはねぇんだな……」
「ああ、抜いた。全力でやったら、それこそ殺してしまうかも知れなかったから。貴様の行いは悪しき行為だが、既に亡き者への冒涜は、死で購うものではない。生きて、その罪を悔い改めさせるべきだと判断した、だから」
「なら、あんたはどういう罪なら殺しても良いと判断するんだ?」

落ち着かない。
この男の、こういうところが落ち着かない。
こんな自分にすら、生ぬるい妙な感情を注ごうとするその態度が。
バクラはあえて、アテムに突きつける。

「本当は今、オレを殺したいんじゃねーの?昨日のこと、わすれちゃいないんだろ?あんた自身が辱めを受けてもその気にならねぇの?」

アテムは、青ざめはしたがはっきりと断言した。

「それは、……どうでもいい。簡単に奪って良い命なんて、ない」




『簡単に奪って良い命なんてない』


瞬間、がん、と頭を強く殴られたような気がした。
なんだ、これは……

(カンタンニ ウバッテイイ イノチ ナンテ、ナイ?)

オレのも?このオレ様の命も?
次々と狩られてゆく仲間を見つめていた、幼い自分。

ナラ、ドウシテ、オレノ……ハ、ウバワレタンダ……


(!違う、それは違う!奪われてなんかいない、絶対に違う!!)

ぞっとした。背筋を冷たいものが流れてゆく。
とてつもなく都合の悪いことに気が付いてしまいそうになって。それを引き出そうとした目の前の少年が憎らしくなった。

「それよりっ」
「ああ、『神官』サマのこと?」

急速に心が凍って。冷たい声で、呟いていた。
どうしてこうも、触れて欲しくないところに飛び込んでくるのだろう。やはり、始末しなければ。この存在は。

(危険だ)



視線を合わせてじりじりと距離を詰めた。
ハッとして、強張ったアテムの表情。ますます残忍な気分になる。

いたぶってやる……昨日より、もっともっと。死ぬよりも惨めな思いをさせて、永遠に時を止めてやる。そうして、薄汚い盗賊に『女』にされた憐れな『王』の姿を、全国民の前に晒してやろうじゃないか。

後退を続けていたアテムはついに逃げ場を失い、背中を壁にぶつけていた。

「知りたいんだろ?逃げんなよ」
「逃げて、など……」

視線を泳がせて、それでも強気なことを言う。

「ハッキリ聞こえるように、教えてやろうと思ってさ。耳、貸してみなよ」

震える肌を間近で感じ。バクラはふぅっと滑らかな頬に息を吹きかけた。
吐息がかかったその瞬間、アテムの体はびくんと大きく揺れた。
逃げたいと思っているのは良く分かる。
けれども恐怖で動けないのもまた良く分かる。

「触るな……!」
「まぁ、聞きなって」

反応がどうにも、面白かった。

「もうすぐ、ここに来る、ぜ……ああ、もう、じきに来る。オレ達の『お楽しみ』の瞬間を、見てもらえるな……?」


最も残酷な方法でやってやるよ。……あんたに価値は、ないから。

心の中でそう囁きながら、バクラは知った。
いっそう身を縮めて震えているこの華奢な体は。燃えるように熱い。
精神的なショックと、そして肉体的なダメージは発熱という形ですでにそこに表れていた。

渇ききった肌、苦しそうな呼吸。
こんな状態でよく今まで倒れなかったもんだと気持ちが少し、弛んでいた。


アテムの膝を無理矢理割り、そこに自分の太腿をねじ込んだ。バクラの足の上に乗るようにして爪先立ちになったアテムの動きは、完全に封じられた。
バクラは悠々と衣の裾を払い直接手で触れてやる。
汗ばんだ肌の上を滑る冷たい指を感じたのか、ぶるぶると震えているのが無力な小動物のようだと思った。

「やめろ……」

弱々しい拒絶。
言ってやめるわけ、ねーだろ?嘲りながら、内股をじっくりと撫でまわす。
熱い。とても、とても熱い。
脳ミソ沸騰しちまうんじゃねーの。なんで意識を保てるんだ?どうして立っていられるんだ?
触れているこの間にも、どんどん体温が上昇していくのが分かる。
昨夜何度も突っ込んだ穴の傷も痛むんじゃないのか?力いっぱい抵抗して、緊張を続けた四肢は脱力し、使い物にならねーんじゃないのか?どうして大人しく、寝ていなかったんだ!?

殺すつもりでいるのに、ヘンな事を心配してみせる。
バクラが思わずついたため息と同時に。漸くもう一つの獲物が姿を現した。


「ファラオ……?」

遠くに、低く響いた声。

手の中の少年が、瞬間身を固くする。
まるでバクラの影に隠れようとでもするような、無意識の行動が愉快でたまらなくて。

「知られたくねぇんだよな、あんたは。オレと、ナニしたの」

折角だから、サイコウの最期を演出してやろう。

すぐには殺さずに。
意識を保ったまま、体を動かせない状態にして。そうして情けなく床に転がるあの男の目の前で。

ヤってやるよ……もう一度。

「オレはまた、罪を犯すぜ?これでもあんたは許せるかな……?」

神官を半殺しの目に合わされて、その前で再び犯されても。
それでも、殺す理由がないとほざくのだろうか。


バクラはアテムから体を離し、声の方へと意識を向けた。
王との手合わせに期待し浮かれている神官は、闇に馴染み完全に気配を消しているバクラには全く気付いていない。

一撃で、体の自由は奪ってやる。手足を吹き飛ばしても、人間はすぐには死なない。
大量の血液でそこに赤黒い池を作りながら、薄れゆく意識の前で想い人が陵辱される様を見てるがいい。恐れた通り……だから、始末しておけば良かったのだと主を詰りながら。
無力な自分を呪って息絶える……

そんなシナリオを描きディアバウンドを具現化しようとした、その時。


目の前に、眩い閃光が走った。


「なっ!?」
「!?ファラオ?と、貴様、は……バクラ!」

闇は切り裂かれ光がその場を包み込む。
眩しさを堪えて確認すれば、そこにいたのは


紅い、竜。
金色の瞳と、美しく光る鱗を持った巨大な竜。
息が出来ないほどの威圧感……これは、この圧力はまちがいなく。


『神』!!!


「くっ、くくく……」

思わず漏れたのは、歓喜の息だった。

「『あれ』だけじゃぁ、なかったんだな……さすが、王サマ」

この瞬間の喜びは、なにものにも変えがたかった。
が、バクラはすぐに不快な顔をする。

「おいおい……」

折角の舞台が台無しだ。雑魚が、バクラのすぐ目の前にいた。

神官は自身の精霊を具現化していた。昨日は頑なに姿を晒す事を拒んでいたそれは、決して悪くはない精霊だった。だが、進化したディアバウンドの前では如何なる精霊も敵ではない。相手になるのはただ一つ。王が操る、『神』のみ。

「ったく、うっせーなぁ……」

ぶつぶつと独り言を言いながら、バクラはすでに決めていた。
この紅い竜。きらきらと零れるような光を発する鱗を見つめ、かならずモノにすることを決心したのだ。

それまでは。

(置いておいてやるよ)

殺さずに。
そのままの貴様で。



それを伝えようとするかのようにアテムに向けられた瞳は、ふいに揺れた。

(ありゃぁもう、限界だろ……)

バクラから片時も目を離さない神官は、まだ気付かない。極限まで耐え隠し通そうとした王はあっぱれだが、何の為にそこまで頑張るのだ?そんなことだから、誰一人その胸の苦しみに気付いてくれようとしないのだ。

(まぁ……あんたは『価値』のある人間だったっつーことで)

いいもん見せてもらったから。こいつは、礼だ。少しくらい心配してもらえ。

「オレよりもさぁ。気の毒に……早く王サマどうにかしてやれば?あんたら一日傍にいて誰も気付かないでやんのな」
「バクラ!」

悲鳴のようなアテムの声が心に突き刺さった。

(そんなに、必死にならなくても、さ……)

アテムにそこまでさせている神官をきつく睨みつけながら、バクラは続けた。

「『なに』を見てるんだか。このままオレは消えてやる。だからさっさと連れてけよ、もうこれ以上はもたないんじゃねーの?こんなデカいの呼んじまったらさ」
「なんだと……?」

訝しげな表情をする神官を睨んだまま、バクラは闇に身を隠した。
男はとっさに攻撃も出来ず、忌々しそうに舌打ちをしていた。

(ほらぁ……倒れんぞ……?)

空中の神の姿は薄れてゆき、漸く異変に気付いた神官は床に崩れ落ちようとする王に駆け寄った。
小柄な体を抱きとめ、初めて知ったその深刻な状況。

痛ましげな表情を記憶に残し、バクラはその場から退散したのだった。










いつもの小高い丘の上に立ち。
闇の中にひっそりと浮かぶ王宮を見下ろして、バクラは考えていた。


あれで、王の身に起こったことはバレてしまうだろうか。
そうしたら、あの長身の男はどうするだろう。王は、どうするのだろう。

「って、オレにゃぁカンケーねぇけどな」

どうにも引っ掛かる何かを意識の端に押しやって。そして、新たに確認した『神』のことを思い浮かべる。


今回は、姿を見ただけ。

試しにディアバウンドに竜神を重ねてみたけれど。
やはり『見た』だけでは盗めないらしい。

王は、蒼の巨神を具現化できなかった。あの空虚感は、完全に失ってしまったことをバクラに教えた。王の中には何も残さず全てがバクラの中に収まっているのだ。それは、どのようにして成されたのか。壁男のように、殺してはいない。むしろ、バクラの方が攻撃を受け痛い目にあったのに。

(攻撃を、受ける……?)

壁男の例を考えても、そういえばバクラはちんけな攻撃を受けていた。
攻撃を、受ける必要があるのか……?だが、それは少々危険な賭けだ。一撃でひどいダメージを負ってしまっては元も子もないではないか。そんなリスクの高い能力なんて、ありか?


蒼の神と、紅の神。
比較して、その法則を見出す必要がある。

姿を確認しただけでは盗めない。攻撃を受けるという仮説がまず、一つ。
あと蒼の神を自分の中で確認するまでに、他にしたことといえば……

(……まさか、な)

だが、それもまた、ひとつの可能性。

(試してみる価値は、あるんじゃねぇ?)

実験。
そう、これは実験だ。

『気持ち』なんてどこにもない、単なる実験……。




内部で起こった異変に気付くことなく警備を続ける、たくさんの兵士を見つめながら。

バクラは淫猥な笑みを浮かべていたのだった。