■〜SECRET〜■


〈 10 〉 20110508




残されてひとりになるのと、
残してひとりになるの。

どっちが寂しいと思う?



* * *







のろのろと、動く。
黒い影。

明かりでもあれば。それは、人形のようにピクリとも動かない青年を肩に担ぎ歩く男のものだと判っただろう、けれど。

真っ暗な夜だった。月もなく、星もない。灯火をもらす民家もない、そんな闇の中。
影の塊は完全に景色に溶け込んでおり、移動していると認識することも難しい。
もっとも、獣すら近づかない荒れたこの土地に、彼らを目撃する者はなかった。

そうでなくとも現在、その男、バクラを『見る』ことができる者が存在するのか、怪しいものだ。

今の、必死で自身の形を保っている、余裕のないバクラを『見ようとする』者など。
どれほどいるというのか。



かつて、盗賊王と呼ばれた男。自信たっぷり傲岸不遜で傍若無人、『この世』の全てを軽んじ好き勝手に『生きてきた』彼が、背を丸めて歩く様は痛々しいほどだった。
引きずるようなその足取りは、肩にかる荷の重量によるものではない。人ひとり負っていることも忘れてしまうほど意識は内に向いており、どんよりと虚ろな眼は何も見ていない。
ただ機械的に足を動かし、前に進む。

結局、虚勢を張っていただけなのだろう。
意地を見せる相手を失った現在、その『事実』は重い枷の如くバクラの心を拘束している。

「……もう、死んでんのか……オレは」

吐息と共に漏らした声は、ひどく冷めたものだった。
知らず、身震いするほどに。

死という言葉は冷たくて、
死という音は冷たくて、
死という真実は冷たくて、
なにもかもが冷えきっている――





自己を形作っていたエネルギー。怒り、憎しみといった負の感情。バクラはそれを『あの時』一気に爆発させた。
結果、憎むべき魔術師を消すことができたわけだが、同時に、己を支える柱をも失うこととなった。

(なにもない)
(からっぽだ)
(なんにもない)

怒りも、憎しみも、どこかへ『持っていかれた』
内部で暴れていた、熱を発する核とも言うべき想いを失ってしまったから、ことさら冷たく感じるのかもしれない。

「寒いなぁ……」

そっと呟き、
ぴたりと足を止めた。



……いや。この感じ方はおかしいだろう。

ふと、気がついて。

「ふ……ふふふ」

小さく、笑った。

「……ハッ!ははははははははは―――

天を仰ぎ、笑った。

「あはははははははははははははははは」

おかしい、可笑しい。実に滑稽だ!!

寒いだって?当たり前だろ、オレは『死んでいる』!心臓は止まり、もう血も通わない!!熱が栄養が、この身を駆けることは二度とない!!第一、血液が巡るべきその体がっ!とっくの昔に朽ちて腐っている!!文字通り、クズになりどこへやらだ!!!

「ひゃーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは――――

気が触れたようにバクラは笑い続ける。
甲高い声が闇夜に響き渡った。

「ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

笑って、笑って。どこまでも笑って。

「は――――はっ!かっはっ、はぁ、はぁ」

笑いきって、息苦しさを感じ。

「……くっ……」

呼吸を整え奥歯を噛み締めた。



悔しかった。慌てて瞼を閉じたけれど、その隙間から涙がにじみ出た。

何故『苦しい』?この感覚も、『ないもの』なのに。ここに存在するものは全て、バクラが自分で作り上げたまがい物。なのに、それなのに、ひどく苦しい。
こんなにも苦しいなんて。
こんなもの、こんなもの……!

「くっ……っそ、たれ、が……」

認めたくはないが。頬を歪ませる感情の正体、それがバクラには分かりすぎるほど分かっている。
ずっと目を逸らし続けてきた。認めれば辛いだけだと知っていたから。
ここにないはずの胸にぽっかりと穴が空いたような気がして、そこにないはずの心がズキズキと痛んで。そうやって実感するのが嫌だった。

自分が、とても寂しい人間だということを。



魔術師に突きつけられた、『死』
これまでのバクラなら、他人に押し付けられたものなど簡単にはねのけ、意に介さなかっただろう。しかし今回ばかりはそれができないでいる。

バクラが感じているこの寂しさこそが、死が現実であるという証。
自身の中に湧き出でる感情ならばこそ、目を背けることも耳を塞ぐこともできない。
逃れ、られなかった。

たちの悪いことに、寂しさというものは、時間の経過と共に肥大する。見ないふりをしていた悲しみや、蓋をしていた虚しさに、触れて起こして結託して。バクラに重くのしかかる。
ああ、これが何もないということか、空っぽということかと思い知らせるように。

最初からなかったけれど、何も持ってはいなかったけれど。持つとか自分のものだとか、わざわざ自覚するまでもない血や、肉や、骨や……命さえをも、手放し失っていたなんて知りたくなかった。
せめて、ここまで誤魔化し続けてきた己を笑ってやろうと思ったが、もはやそれさえも許してくれない。寂しさに気がついてしまったら、悲しくて、悲しすぎて、虚しくなって。
もう笑えなかった。

「ああ……」

虚無に蝕まれてゆく。全身の力が抜けて――どさりと、鈍い音がした。

「ぐっ……」

うめき声は、バクラのものではなかった。

『誰か』いる……地面を見下ろして。やっと、神官の存在に気がついた。
足元にうずくまる青年をぼんやりと眺めながら、その意味について考えた。

何故、こんなものを運んでいる?
一体どこへ、運んでいく?

ゆっくり、何気なく、顔を上げて……視界に入った――大きな、穴
見覚えがある……ような?

何度か目をしばたたいて、ようやく「あっ」と声をあげた。
警戒し周囲を見渡すバクラの瞳に、若干力が戻っている。
彼は、自らが立つその場所を、今度こそしっかりと認識した。

「ここ、は……」

そう……バクラは辿り着いていたのだ。あの、洞窟の前に。







ここを出てから一日と経っていないのに、懐かしさがこみ上げてくる。
あの時は『こんな自分』を想像もしなかった。

こんなにも頼りなく、
こんなにも脆く、
こんなにも弱い、
『自分』

(だが……)

そんなに変わるものだろうか?
いや、あの時も今も、『こう』であったはずだ。
では、あの時と今は何が違う?


――在るべき場所へ還りなさい――


『死』を知ったこと。

(……ふざけんな……)

頑張ったところで、自分はここに存在しないモノ。
生きて、生きて、生き抜いて。生ききりたかった……けれども、失ったものはもう取り戻せない。


――この世界に居場所を求めても――

――お前は決して満たされない――


『死』を認めたこと。

(ふざけんな)

確かに死んでいるけれど、バクラはずっとここにいた。
他人の口から伝えられ「はい、そうですか」と従えるものではないだろう。
特に相手は、あの、何もかも見透かしたようなムカつく魔術師だ。奴の思惑に乗ってなどやるものか。

「ふ……お……」

先ほどから。
うわ言のように繰り返されている神官の声が、意味を伴ってバクラの耳に届き始める。

「ふぁ……ら」


――私の生を支える『想い』は唯一つ、『あの方を守ること』――


神官の想い、魔術師の想い、バクラの、想い。
それは、生を支える、想い……

「ふぁら、お……」

(王サマ……!)



カッと見開かれた目の奥に、ギラついていたのは確かに欲。
そいつがある限り、生きていられる、その為にバクラは盗み続けてきた。
何も「ない」わけじゃない、手にしていないだけ。死を認めることは生を諦める理由にはならない。まだ、あるではないか、残されているではないか。たったひとつだけ……だが、とてつもなく大きなものが。

『オレのもんだ』

魔術師に追い込まれ、むきになって言い放った形だが。あれはその場の方便ではない。あの気持ちは、アテムを欲しいという感情は、何より強く、大きく、深く、バクラを奮い立たせる。
彼さえいれば!!

「…………」

熱く滾る血を内に感じながら、自分を支える想いはまだ『生きている』と確信した。

そうして、暗い穴の奥を見つめたまま。
バクラはしばらくの間動かなかった。

この先に、果たして。
あの少年はいるのだろうか。





「ば、……クラ……」

意思を持つ声に我に返り。

「……やっと、お目覚めかい?」

何事もなかったように、応えてみせる。
見下ろせば、神官が弱々しい気を盾にしながらバクラを睨みつけていた。

「きさ、ま……そこ、で……な、にを……」
「はい、状況説明。てめぇがおネンネしてる間に、てめぇの相棒は殺った……王サマから盗んだ、神の力でな」
「…………」
「んで。ここはオレが王サマを連れ込んだ洞窟。重いのによぉ、わざわざてめぇをおぶって来てやったんだぜ?感謝しな」
「!?ここっに、……ファラオ、が……」
「今もいるかは、わかんねーけど」
「どう……」
「閉じ込めてたワケじゃねーし。逃げようと思えば逃げられる、そーゆーこった」
「?……」

遠い目をして口の中で呟くように告げるバクラに、神官は眉をひそめる。不安そうに、心配そうに。その表情は、バクラの嗜虐心をくすぐった。
やはり、この男を選んで正解だ。

「ここで『された』こと考えりゃ、逃げてて当然っつーか。てめぇら狩るのに時間くったし。いないとは思うが、可能性はゼロじゃないんでね。一応、戻って来たんだけどさ」
「なぜ、わた、し、を……」
「王サマに会わせてやりたくてな。ここで、この場所で。てめぇが間違えなきゃ、王サマ『あんな目』に合わなかったのによぉ……知っとくべきだろ?てめぇの責任ってやつを」
「……どういう……」
「ま。とにかく、全ては王サマが『いたら』の話だ。そんときゃ『どんな目』にあったか、てめぇの目の前で再現してやっから。気が済むまで謝まんなよ」

言いながら、神官を担ぎ上げ。
バクラは意を決して洞窟の中へ足を踏み入れた。
そして。

「……逃げなかったのかい?」

まるで帰りを待っていたかのように、こちらを向いて座っているアテムを前にして。
曖昧な笑みを浮かべたのだった。








残っていて欲しかったのか、それとも逃げて欲しかったのか。本心は自分でも分からない。少なくとも、嬉しくはなかった気がする。
そうだ、いざアテム本人と向き合ってみると、ちっとも嬉しくなかったのに。なのに。変わらぬその姿を確認して、どこか、ホッとしていた。

「折角、自由にしてやったのに……」

近づくバクラに対し、アテムは何も言わない。
紅い瞳は、バクラの首から下がる千年錘に釘付けだった。
そっと息をつき、バクラは見せつけるように錘を持ち上げた。

「こいつを置いては行けなかったか?一応、期待はしてたぜ、あんたがここにいたらって。……もっとも。オレの予想じゃ、逃げる可能性の方が高かったんだけどな」

(そんな目でコレを見るな)

こんなものに執着せずに、さっさとこの場を去っていてくれれば良かったのに。

(ああ、そうか)

会いたかったから、残っていることを望んだ。けれども彼がここにいるその理由は気に入らない。だから、いればいたで面白くない。
王を繋ぎとめるものが自分以外であることが許せないのだ。
見るのは、その目で見つめるのは、オレだけにしてくれ、と。
本心はコレかと思い至り、もう一度息をついた。

「……逃げるわけにはいかない。貴様とは、ここで決着をつける……」

小さな唇が発する、静かな声。バクラは眉を寄せた。

「ごりっぱ。どういう心境の変化?覚悟は出来たってか?」

彼のことは、恐怖で縛り付けてきた。

(なんだ?)

それなのに。アテムの中から、恐れが消えている……?
徐々に焦燥感をつのらせた。

「……なら、早速。いいもん、見せてやろう。たまたまバッタリ出くわしちまって。邪魔するからさぁ……運が悪かったとしか、言いようがねぇな」

このタイミングで出す気はなかったのだが。新たな戦利品である千年秤を意地悪くぶら下げてみせると、アテムの顔色が一変した。
怒りと悲しみが入り混じったそれ。びりびりと空気を伝ってくる激しい感情に、とりあえず安堵する。

「……殺したのか……」

低く震える声を聞いた瞬間の悦びが、どれほどのものだったか。誰に想像できるだろう?
きっと、これだけなのだ。憎しみ、悲しみ、怒り、恐れ。そういった負の感情だけが、刻み込むことができる……バクラの存在を、アテムの心に。

「ま、あれじゃ、時間の問題だろーなぁ……」
「……彼……だけ、か……他には……」
「ああ、あのハゲ?奴なら……」

背後の、少し離れた場所に放っていた。くいっと顎で示してやると、その存在を認識したアテムは弾かれたように立ち上がる。

「シャダ!」

神官の元に駆け寄ろうとする少年を、バクラは止めなかった。いや、止められなかった。
あまりにもあっさりと、アテムの関心が神官に移ったから。
それはまるで、バクラなど最初からそこにいないかのような行動だった。
こんな風に、鼻先をかすめ前を横切るなど、まるで身の危険を感じていない。
それほどまでに、アテムの意識は神官に集中しているということか。

「…………」

互いを思いやる二人の会話が遠かった。
バクラの想いを置き去りにして、アテムは神官と二人だけの世界を目の前に創りあげた。



シナリオどおりに全てが運んでゆく、が、それはバクラが望んだものとは随分と違った。
彼らの絆など興味はない、なのに嫌でも感じてしまう、この演出は何なのだ?

アテムの瞳が心配している、アテムの指が気遣っている、アテムの唇が慰めている。アテムの何もかもを注がれるのは、バクラではない別の男。
すぐそこにいるバクラを無視して、彼は神官だけを見つめる。神官だけを気遣う、神官だけを求める。手で触れられそうなほど明らかな、縁という糸が憎らしかった。

アテムを手に入れるには、それを完全に断ち切らねばならない……爪を噛みながら考えを巡らせていたバクラの耳に、神官のか細い声が飛び込んできた。

「セトも、いっしょ……まだ、セト、が……」

空気が、凍りついた。

『セト』

その名に、アテムが過剰なほどの反応をみせたのだ。
バクラもまた、セトの名にハッと顔を上げ、アテムの横顔を見つめる。

揺れている。その心を映し出す、大きな瞳が。不安の波に揺れていた。

「へぇ……のっぽさんも来てたんかよ。なら、奴を連れてくりゃ良かったぜ……さぞかし盛り上がったろうぜ?」

口端をゆがめて話に割り込むと、アテムは目の縁を朱に染めバクラを睨んだ。
その視線に引き寄せられるように、バクラが間を詰めれば、王の顔をして臣下を背で庇うように立ち上がった。

真っ直ぐに、真っ直ぐに、バクラの目を見る。
彼は決して逸らさなかった。意識も、視線も、バクラに集中させている。
バクラは快感に身震いした。アテムに『見られる』だけで、勃ってしまいそうだ……むしゃぶりつこうとする欲望と戦いながら、ついに手の届く距離まで近づいて。その細い顎に指をかけ固定し顔を寄せる。
そうして、触れるか触れないかというところで唇を止め、低く掠れた声で囁いた。

「見物人が、必要だからな。あんたの哀れな最期を見届ける……」

バクラはとっくに決めていた。アテムを殺して、彼の時間を止めるのだと。



手に入れるということは、『同じもの』にするということだ。
既にバクラは死んでいる、アテムを生かしておく理由はなかった。
しかし今の彼では駄目なのだ。『同じ立場』にある彼をバクラは求めている。
バクラと同じように、何もかも失いからっぽになった彼を。
その為には、全ての繋がりを絶ち孤独の闇に突き落とさねば。

魔術師は消した、黒髪の神官も殺した……王の力で。その事実と、これから突きつけられるハゲの神官が離れてゆく原因は、更に大きな絶望を王に与えるだろう。
仕上げに、背の高いあの神官との関係に決定的な打撃を与えられれば、恐れるものは何もない。
アテムはバクラだけのものになる……はずなのだが。

「見物人など必要ない。彼は、すぐに帰す」

そう簡単に思い通りにはならないのが、この少年。
それが、バクラを高揚させるとも知らず。こうやって、逃げずに真っ向から挑んでくる。

「やっぱ気が合わねーの。ま、好きにしな」

バクラは自身の首にかかっていた千年錘を外し、アテムに返してやった。
役目は十分果たしてくれた。ただ……と。これから先、こんな『餌』は必要なくなればいいと願いながら。

アテムはバクラの行動に驚いたようで、されるがままになっていた。
こういうところが子供だというのだ。ある部分では、抜けたように無防備になる。そこがまた、微笑ましくもあった。

気が弛んだのか、期せず。バクラの指先が、僅かに、彼の肌に触れた。
刹那。
電流のように。全身を熱が駆け巡った。

(熱い……)

それは彼のものか、己のものか。少し考えれば、彼の熱が伝わったとわかるものだが。
あまりにも自然に受け取ってしまったから、勘違いをしてしまいそうになる。

こんな些細な関わりでも、暗い死の影を吹き飛ばし、生を与えてくれるのだ。
交われば、更に深いところで実感できる。

アテムと向き合っていると、バクラは自分でいられる気がした。以前と何も変わらない自分。これが、『自分』……ひとりでは、曖昧になって消えてしまいそうだから。
だからアテムが必要なのだと、望むのかもしれない。

「『すぐに』できるっつーなら、やってみせろや……ただ。あんたが、そんな気になれるかどうか」

知らせてやりたい。アテムがバクラのものであることを。
アテム自身に、思い知らせてやりたい。

熱にあおられ、火がついた。



獰猛な欲望が、かの精霊獣を具現化する。
何かを察したアテムが振り返った時には、既に、ディアバウンドは神官を拘束していた。

その姿を確認したアテムは言葉を失った。王は、『あれ』から精霊獣を見るのは初めてなのだ。
バクラが口を開く前に、神官がそれを伝える。

「ファラ、オ……神は、盗まれ……いた、の……です……」

その瞬間のアテムの表情!バクラがこれほど感激したことはなかった。
崖から突き落とされようとしている獲物は、その手を握るものが己を捕食しようとする野獣であっても放すことができないのだ。
説明を求め、縋るような目でアテムが見るから。だからバクラは。

「あんたの中には、もう、いないんだろ?それが答えさ。……オレが持ってるから、あんたのは消えた。つまり、そゆこと」

優越感に浸りながら教えてやった。

「いつの……まに……」
「その辺がなぁ。経緯はともかく、オレ様のディアバウンドは確実に強さを増した。『あんた以外は、相手になんねぇ』」
「ま、さか……!!マハードは」

大きな目が零れ落ちそうなほど見開かれる。含みを持たせて伝えた真意は、正確に受け取られたようだ。
心地良い……彼の瞳に映る己の姿に満足し、バクラは更にたたみかけた。

「魔術師も確かに力を持っていたが。『神』の力を得たディアバウンドの敵じゃぁなかったな。それに、奴はあんたがオレに『された』こと聞いてたからよ、ショックが大きかったと見えてなぁ。相当取り乱してたぜぇ?そんで本来の力出せなかったのが致命的。二重の罪、だよな……」

罪、と。バクラはハッキリ言葉にした。
茫然としているアテムに、それは届いていたのだろうか。

バクラは呪うように心の中で呟く。

そうさ、あんたはオレの共犯者。あんたとオレは同罪だ。オレからは逃げられない離れられない。もうそいつらとは住む世界が違うんだから……こっちに来いよ。こっちの世界に。

(誰もいない、世界に)

「魔術師も。片目のじじいもおかっぱ男も。みぃんな、あんたの『神』の力にやられたのさ」

とどめとばかりに言い放つと、ざぁっと圧が下がるような、そんな絶望感をアテムはあらわにした。そのまま、倒れてしまうかというほど青ざめて……だからバクラは、思わず、その身を支えようと手を伸ばしかけたのだが。

(……?……)

沸々と、
静かに煮立ち始める。
怒り、怒り、怒り。
しかし、その矛先はバクラではなかった。

アテム自身への、怒り。

息を呑むバクラの前で、爆発が起こった――否、それは錯覚。
突如として、強大な力が出現したのだ。暗い穴ぐらの中にではない、姿は見えなかった。恐らく、洞窟の外、だ。にも関わらず、潰されてしまうと危機感を覚える程の圧力に耐えねばならなかった。
とてつもないエネルギーを放つ存在、それが、アテムの呼び出した神のものであることは明白だった。

紅き竜。

今それをアテムが呼び出せるということは、やはりあの神はバクラのものになっていなかったのだ。

(なら……オレが奪った『あれ』は、なんだ?)

そうだ……そもそも、あの時。バクラはアテムを『征服』してはいない。
アテムの意識は『守られていた』
あの、魔術師に……

「!」

ざわりと胸が騒いで、慌てて内に在る『他者』の正体を探ろうとした。が、アテムの冷えきった声に阻まれる。

「……貴様を、殺す……」

本気の殺意を向けられて、発作的に笑い出した。

「ひゃーはっはっはっは!お優しい王サマの口から、そんな物騒なお言葉が飛び出すとはな!!……いいねぇ、殺されてみたいねぇ……」
「外に出ろ……この中で戦闘を行えば、例外なく生き埋めだ。それでは意味がない。オレはオレの力で貴様を倒す。貴様も、それを望んでいるのだろう……」

即座にバクラの笑みは消えた。

そうやって、神官を庇うのはいい。そうしたいと言うのも彼の勝手だ、好きにしろと思う。だが。バクラの望みをそこで持ち出すのは許せなかった。
それは、彼が口にしていいものではないのだ。特に今のバクラの望みなど。彼が知るはずはないから。
低く唸るように、バクラは答えた。

「ああ。ここでおっぱじめるつもりはねぇ、やるなら広いトコロで思いっきりあんたを叩きのめす。もちろん、外で相手してやるよ……けど、その前に。オレ様がどうやってあんたの力盗んだのか、興味ねぇ?」
「ないな」
「『紅の神』も盗まれるかもよ」
「その前に決着はつく……盗まれる前に貴様を倒せばいいだけの話だ。オレが、これ以上は許さないと決めた。別に知る必要はない……」

アテムは乗ってこない。もちろん、バクラも譲るつもりはなかった。

「簡単に言ってくれるね。だが、オレは絶対に『死なねぇ』よ?知っといた方がいいと思うがな……ま、知ったトコでアレだけど。その方が、オレはもっと楽しめるんでね」
「ごちゃごちゃ言わずに、さっさと……!!」

(分かってねーな)

あくまで、優位に立っているのはこちらだ。
苛ついた様子のアテムに冷水を浴びせるつもりで、神官を潰してやろうかと、これ見よがしに拳を握れば。アテムは慌てて要求してきた。

「オレと貴様の戦いだろう、彼は関係ない、放せ!」
「放すと思うか?オレは卑怯がウリなんでね」

さすがに呆れて、なげやりに吐き捨てた台詞だったのだが。

「だが、貴様には誇りがあり秩序がある。こういうやり方は、好まない筈だ」

そんな風に答えたアテムに、虚を突かれた。

何を言ってる、断言するか?何を知っている。このオレの一体何を、信じるというのか。

(……見ててくれた……)

弛む口元。どうしてこの少年はこうも、こうも、空っぽのこの心を満たしてくれるのだろう。
泣きたくなるほど嬉しかった。けれど、それを表現できるはずもなく。

「買いかぶりすぎだぜ、あんたもヒトがいいねぇ」

急いで仮面を被るしかなかった。

「分かってねぇな……奴は観客だっつったろ?今から、あんたとオレがすることを見届けてもらわなきゃなんねぇ。あとは……そうさな。役割としちゃぁ、あんたを逃がさない為の人質ってとこ?」
「貴様を倒すまで、オレは逃げも隠れもしない。彼がいなくても、オレは貴様の前に……」
「そうじゃなくて。オレもさぁ納得しないと次いけねぇんだよな、性分で。確認する前にくたびれてもらっちゃ困る……今度は、ちゃんとあんたの意識がある状態でヤりてぇの。勝負はその後だ。逃がさないっつーのはそゆこと」

無感動に『目的』をほのめかす。

「な、に……言ってる……」
「あのハゲ殺したくなかったらな、も一度楽しませろって言ってんの」
「ふざ、けるな」

一瞬で赤くなった顔は見る見るうちに青くなり、カタカタと震えだす拳をアテムはぐっと握り締めた。それは、恐れによるものではなかったろう。その証拠に、彼の表情は屈辱にまみれていた。
アテムはもう、本当にバクラを恐れていない。彼は何かを克服し、乗り越えたからこそ、ここでバクラを待ち、関わることを決心したのだ。
そのアテムの心を、バクラは再び折ろうとしている。二度と立ち上がれないように、徹底的に潰し隷属させる為に。

(とっくに、始まってんだ、闘いは)

「……くるっ、て……る」

神官の軽蔑しきった視線を、全身に浴びて。

「ファラ、お……このような、ざれごと……」
「黙ってろハゲ。決めんのは、王サマだ」

その目を、是非ともアテムに注いでやれと悪態をつく。

「彼を、放せ……」

この期に及んでバクラに命じる王。しわがれた声で、それでもバクラを『信じて』言ってのけるとは。

「彼は、必要ない……」

(やっぱお子ちゃま……)

「確かに。ヤルことやっちまえば、用はねぇ。いつでも放してやるよ」
「……ディアバウンドを、消せ……そうすれば、貴様の言うとおりに……」
「それはできねぇな。オレはそんな甘くない……奴を盾にしなきゃあんたマジでオレを殺りそーだ。簡単にやられたりしないけどさぁ。オレとしては。あんたを犯ってから、殺りてーのよ」

それきり沈黙し。アテムの出方を待った。

逃げられない、逃がさない。バクラはその現実を容赦なく突きつける。

(いい加減、覚悟しろよ)

最初から、アテムに選択の余地はない。
彼は、バクラの台本どおりに動くしかない演者なのだから。

アテムは、色を失った唇を震わせていたが。しばらくの後、やっとのことという体で言葉を紡ぎ出した。

「これ以上、彼に、傷をつけるようなことは……」
「妙な素振りをしなけりゃ、手はださねぇよ。捕まえとくだけだ」
「…………」

こくりと唾を飲み込み、真偽を確かめるようにバクラの目を見る。
バクラも本気を伝える為、アテムの目をまっすぐに見つめた。

こっちに来い、こっちの世界に来い。逸る気持ちを抱え、心の中で呟き誘う。



少年は何度も息を吐いた。一息、一息に覚悟を封じ。そうして目を閉じ一切の抵抗をやめた。

バクラもふっと肩の力を抜き、アテムの細い体に腕を伸ばす。

「ファラオ!」

精一杯の力を振り絞って、神官が叫んだ。

手が――触れ――繋がる

通じ合う感覚。
錯覚と分かっているのに、それでも歓喜にふるえている。

(重症だな)

「ファラ、オっ私に!構わ、ず、バク……ラに攻、撃を……!!」

馬鹿かと思う。力のないこの神官の為に、王は『これ以外』の方法を封じられているのに。構わず、アテムの腰に回した腕をグッと寄せると、ふわりと熱く甘ったるい匂いがした。

バクラに密着した状態で、アテムはふるふると首を振っていた。

「オレに、守らせてくれ……お前だけでも。オレの……せめて、オレの手で……」

(安っぽい芝居だ、反吐がでらぁ)

興奮しきった下半身をアテムに押し付けて。更に追い詰めにかかる。

「いい心がけだ。そう……まさに体張って守るんだ。簡単なことさ、オレを満足させりゃ、そいつは助かる」

二人の絆が鬱陶しい。今すぐズタズタに裂いてやりたい。
二度と元に戻れないよう、手ひどいやり方で。切り離すのだ。

「ヨく、してやるからさ」

気高き少年王が盗賊の慰み者になるのを、非力な神官は傍観するしかない。
その間の抜けた顔に、てめぇの責任だろうがと言ってやる。

「神は。三度、穢される……」
「バ、カな……!!」

慌てて立ち上がろうとする神官は、煩いハエのようだ。
軽く払うつもりでディアバウンドを動かすと、腕の中のアテムがすかさず命じた。

「シャダ、動くな……」

苦しそうに、辛そうに。ぎゅっと目をつむって耐える姿は、あまりに愛しい。
もう、我慢ができなかった。

「そうそう、じっとして、黙ってそこで見てろって。てめぇにゃなんにもできゃしねぇ……力がないんだからさぁ力のある王サマに守ってもらうしかないだろ?強けりゃ止められたんだろうけどな……ご主人サマが、こんなことされる前に、さ」

ほっそりとした足に指を沿わせると、柔らかい肌はバクラの手によく馴染んだ。
自ら、喜んで。吸い付いてくる。

(たまんねーなぁアンタは、さ)

瑞々しい肢体はしっとりと潤んでおり、触れた部分からほんのり薄紅に変化する。
それはまるで、蝶の羽化を見ているようだった。
バクラの胸に、生が満ち満ちる。

(これが、生きている体。生きている、魂……)

内股に手をかけ少し開かせて、尻の形がよくわかるよう腰を突き出させた。そうして、衣の上からゆっくりと撫で回し、どうだと神官に目配せする。

「……外道……」

彼は頭を振りながらそう吐き捨て、俯いた。即座にそれは許さぬと、ディアバウンドに命じて顔を上げさせる。

「めったにお目にかかれるもんじゃねぇんだ、しっかりと顔上げとけよ……見ないっつーなら聞かせてやろうか?王サマの鳴き声なんか聴いたことねぇだろ。いい機会だてめぇがいるなら可愛い声出しそうじゃん」
「貴様!!」

挑発すれば、もう耐えられないと神官は暴れだした。何やら喚いているが、バクラにとっては取るに足らないこと。けれども、自身を傷つけようとしたのはいただけなかった。興ざめだと怒りがこみ上げる。

下手なアドリブのおかげで、折角の舞台が台無しだ。これ以上無粋な真似をするならば、いっそここで殺してしまおうか。
死体の横で、嘆く王を蹂躙するのも面白いかもしれない……即興で場面を書きかえ神官を始末しようとしたのだが。

「黙れ、シャダ」

少年が全てを制した。
それは支配者たる王だけが発せられる命。
神官のみならず、バクラもびくりと手を止める。

「お前は……オレにお前を殺させたいのか?」

バクラに抱かれた状態で、アテムは威厳を損なうことなく問うた。

「ふぁら、お……」
「『神の力』で、再び。お前の命を奪うのは、『オレの力』。お前はオレに、何度罪を犯せと……?」
「ちがっ」
「お前はオレが守る。オレが、必ず……」

穏やかな目をして。力強い言葉を、神官に与えた。



どう考えても、バクラの方が有利なのに。何故、崩れない?
アテムを乱暴に地面に押し倒したが、彼はなお落ち着き払って断言する。

「お前を、守る」

静かな洞窟内に、神官の嗚咽が響いていた。

バクラは何も言わず、少年に覆い被さった。
かつて自分を犯した男に再び乗りかかられながらも、王は笑みすら浮かべて口にする。

「この程度のこと。なんでもない」

やっと捕らえたと思ったのに。
アテムがまた、遠くなる。

(なんだ?これは)

必死になって手を伸ばし、縋りつこうとしている無様な自分。

(なんだ、これは!)

「話はついたな、おい、ハゲ。気づいてないようだから、一応注意しとくけど。てめぇだけじゃなくてなぁ、オレぁ王サマの命も握ってんだぜ?」

余裕を見せようにも、神官を攻めるしかないなど。

(なんなんだよ!)

「あんまりイラつかせんなや。王サマ、最悪な死に方することになるぜ?突っ込まれたまま昇天……なーんてな」

どうせ殺せばオレのもの。そう、自分を安心させるつもりだったのに。

「オレは、死なない」

アテムはきっぱりと言った。



死なない、
死なない、
死なない。

『死なない』

これ以上はない、拒絶だった。





『貴様にオレは、変えられない』

いつか、彼に言われた。
あれからずっと、胸に突き刺さったままの言葉。

そこから滲み出た血は、今、更なる言葉の杭を打ち込まれ。
ポタポタ、ポタポタと滴り落ちる。



「ま、とにかく。そこで静かにしてろ」

アテムから目をそらし。

「あ、反応しちまったら、勝手に処理していーぞ。なかなかごーせーなオカズだぜ?現人神の痴態を見ながらなんて、な」

神官をいじめて気を紛らわせようとした。けれど。

(死なない、死なない。オレは死なない)
(死んで、死んで。オレと死んで……)

傷口は拡がってゆくばかり。止まらない……血が、止まらない……。



「どう、して……こんな、こ、と……」
「大丈夫だ、シャダ。何でもない、大丈夫……」

絶望的な声を出す神官に、アテムは子供に言い聞かせるように穏やかに繰り返す。

(何が、大丈夫?)

大丈夫?何でもない?あんなに傷つけたのに?あんなに苦しめたのに!?あんなに刻み込んだのに!!
あんたにとって、オレはナンでもない存在なのか!?!

興奮は加速度を増し、怒りに拍車がかかる。
腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!



勢いにまかせ、首筋に食いつくように顔を埋めるとアテムは反射的に身を硬くし息を止めた。
そうら、恐れているではないか、嫌悪感を抱いているのではないか。
これのどこが「なんでもない」のだ!?
必ず暴いてやる、そのモロさを、曝け出せ!



無我夢中だった。
恐怖心を呼び覚まそうと、最初の夜をなぞるように少年の体を弄った。

細い首を夢中で舐り、華奢な鎖骨に夢中で舌を這わせ、薄い胸に夢中で吸い付き。そうやって体中を舐めまわしながら、感じた違和感。
数時間前も、彼を抱いた。あの時、確かに。こんなふうに痕を付けた。
たくさん付けたはずなのに。

(……残っていない)

すぅっと血の気が引いた。
そこでようやく、バクラはアテムの異変を知ることになる。



いつからだったのだろう。あれほど硬直していた小さな体が、脱力していた。
完全に、緊張が解けている。
これは妙だと顔を上げれば、そこにはぼんやりと焦点の定まらない瞳が待ち受けていた。

「!?」

がばっと勢いよく起き上がる。
彼を跨いだまま膝立ちになり、恐る恐る頬に触れてみた。
アテムは反応しゆっくりと瞬きをした、が、潤んだその目に強さはない。アテムらしくない。
『らしくない』と思うのは、これがニセモノであることを知っているからだ。

ウットリと、恍惚に溺れた表情には覚えがある。
あれはアテムではなかった。

これは……これも!



指が食い込むほど強く、アテムの肩を掴み、バクラは極力抑えた声で問いかけた。

「……き、さま……『いる』のか?そこに……」

『あの時』邪魔をした男。奴はなんと言っていた?


――私が、あの方の意識を遮った――


体をゆさぶっても、なされるまま。このアテムの状態……先ほどまでの、侵し難い整然とした空気がまるでない。
『あの時』と同じだ、彼の本質はかき消えている。

ならば、彼の意識を遮っているのは!

「くっそぉぉぉぉぉ!!!!」

突然叫び声をあげたバクラに異変を察知した神官が、隙を見て精霊獣から逃れようとする。しかし、そんなことに構っていられないほど、バクラは逆上していた。

奴は、魔術師は、確かに蹴散らした。
邪魔をできるハズがない。なのに、それなのに!


――この先も、何度でも。私が盾に――


オレと同じように、奴も『死なない』ということか!?

「ざけんな……」
「!?バクラ!」

神官が悲鳴をあげた。
アテムに馬乗りになったバクラが、その首に手をかけたからだ。

「この体は王サマの器だろ……。意識を庇うことはできても、体はどうかな!」
「やめろっバクラ!」
「うるせぇっ外野は黙ってろ!」

再びディアバウンドで神官を押さえつけ、じわじわと指先に力を込めた。

「……さっさと出てこいや……いいのか?オレは本気だぜ!?どっちにしろ殺るつもりだったんだ、今、この場で壊しちまっても構わねぇんだよ!!」

少しずつ締め上げてゆくが、反応はない。
バクラはイライラと声を荒げる。

「王サマに『同じ』もんになってもらうって言ったろうが、よ!」

一気に締め付けると、アテムの体がビクンと跳ねた。
恐らく今のは、彼自身の反応。やはりそこまでは庇えないのだ。
確信して、更に力を加える。

出て来い、魔術師!そこにいるのは分かっている!



バクラの中の『他者』――それが、あの魔術師ではないかということは、薄々気づいていた。
どうやっても思い通りにならない力。当然だ、こいつは『意志』を持っている。
そもそもあの時奪ったのは力ではない、魂だ。いや、奪ったのでもない。
この魂は、自らの意思で侵入してきたのだ!

「胸クソわりぃ、このオレ様に寄生するとはな!だから毎度毎度、王サマのピンチに登場できるってわけかぁ?ええ!?」


――お前がここにいる限り、私もここに存在する――


バクラがここにいる限り。魔術師は必ず存在する。消せはしないということか、完全に騙された。
魔術師はそう『見せた』だけ。消えたと見せかけて、実はバクラの中に潜んでいたとは。

「おらおら早く出てこねーとマジでこの首へし折るぞ!」
「バク……!」
「……この手を放しなさい、バクラ……」

神官の必死の呼びかけを遮って、答えたアテムの表情が変わってゆく。
子供らしい柔らかさは失われ、口を一文字に結んだ大人のものに。もったいぶって開かれた瞼の下からは、あの少年ならば決してしない、胡散臭い偽善者の目が現れた。
哀れみを含んだ、見覚えのあるその目。
一瞬で憎しみが蘇り、バクラは更に指先に力を込めた。

だが、苦痛など少しも表に出さず。アテムの口を借りた魔術師は高圧的に言った。

「放しなさい」
「えらっそうに……何命令してんだ、よ!貴様がそこから出るのが先だ!勘違いすんじゃねーよ、分が悪いのはそっちなんだ。オレはどっちでもいいんだぜ、このまま王サマ逝っちまってもよぉ!どーせ手に入れっからな!!」
「ファラオは……お前と共にはあらぬ」
「貴様が邪魔するからってか?はっ!脅しにもなりゃしねーな。そうら、ご主人様殺されたくなけりゃ……」
「行き先が違うと、言っているのだ」

静かに、魔術師は続けた。「え?」とバクラの思考が止まる。

「人には人の、神には神の、在るべき世界がある。もしも今、この方を殺めれば。お前にも、私にも、決して触れられぬ地へと旅立ってしまわれる……だからバクラ、手を放せ!」

怒声に近かった。
魔術師は確かに焦っている。王を殺されるから、というよりも。
これは、この焦燥感は。

『私にも、決して触れられぬ』

己の身に降りかかる、危機感だ。
言いなりになったわけではない……そう弁解しながら、バクラはアテムの首から指を解いた。

細いそこには、しっかりと太い指の痕が残っていた。締め上げられてアテムの体は硬直したけれど、苦しみは何が感じていたのだろう?
意図して、そんなどうでもよいことを考えようとした。そうでないと、とんでもない結論に達してしまう。

(行き先が、違う?)

それはつまり、手に入れられないということ。

(在るべき、世界)

どこまでいっても、『同じ』にはなれないということ。

ギリリと音がするほど、アテムの中の魔術師をねめつけた。

「で?貴様はそうやって王サマ守ったつもりだろうが。オレは『在るべき場所』とやらに『還る』つもりはねーんだが?王サマ連れてくのが無理だってんなら、オレはずっとここにいるだけさ」
「ならば私も、そこにいるだけだ」
「…………」

当然ながら、互いに引く気は全くない。
暫く睨み合っていたけれど。ふいっと先に目を逸らしたのはバクラだった。

「なら……こーゆーのはどうだ?」

大切なものというのは、多ければ多いほど弱さになる。
バクラはにたりと笑い、ディアバウンドの手の中の、もう一人の神官をジワジワと潰しにかかった。

「……あ、あぁ……」
「王サマは奴を助ける為に、オレに体を差し出した。いいのかなぁ〜?貴様が邪魔したせいで、気がついた時にゃハゲはオダブツって。悲しむんじゃねぇの?」
「…………」

魔術師は顔色も変えず、黙っていた。

(こいつ……!)

「ちなみに。オカッパはどうした」

忌々しい奴と舌打ちし、何気ない風を装って聞いてみた。

「……無事だ。言ったであろう?『見下してもらっては困る』とな」

あの爆発を利用して、うまく姿を隠したというわけか。

「単に、誤魔化しただけじゃねーか。ふぅん、あっちは無事か、なら。こっちが二人目の犠牲者ってことで。今度はどんな手を使う?」
「…………」
「助けねーの?天秤にかけるまでもねぇ?王サマ助ける為なら一人や二人の犠牲は仕方ないってか。だよなぁ、オレ様の襲撃でもう何人も下っ端の兵士死んでんもんな。今更、神官の一人くらい追加しても、どってことねーか。なら、遠慮なく」

この神官を殺したところで、アテムが手に入るわけではないと分かっていたけれど。どうにも腹の虫がおさまらず、何かにあたりたい気分だった。
だからバクラは、本当に、期待などせずに神官を潰そうとしたのだが。

「……!……」

一瞬、魔術師である表情が強張って。

「いけません!ファラ……」

短く叫んだかと思うと、唐突に消えた。


そして


「……やめろ、バクラ。シャダに、手を出すな」

取って代わった凛とした声。

その主の命ならば、バクラは素直に従うのだった。








To be continued...




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