ああ、やっぱりないか。

 最後の展示室、最後の展示物を見つめ、武藤遊戯は残念そうにため息をついた。
 うーんと唸って。

「どっちも、だなんて。欲張りだったかな」

 閉館時間まであとちょっと。もし終わるまでに『会えなかったら』諦めよう、軽い調子でひとりごちると、くるりと回れ右をして順路を逆に戻っていく。
 人がまばらになった通路は、逆行してもさして邪魔にならない。ゆっくりと、時間をかけて。彼は左右に飾られている遠い国の遺物たちを眺めながら、のんびりと歩いていた。
 特にもう一度見たい展示物があるわけでもなさそうで、立ち止まることもなく入り口の方へと向かう。そうして、初めに戻るとやはりくるりと回れ右をして。また、出口へと向かう。



 彼がいるのは、童実野美術館。
 町を代表する施設である建物はそこそこ大きく、何度も往復するような規模ではない。にもかかわらず、遊戯は目的もなく館内をウロウロしていた。……いや、目的はあったのだ。その証拠に。
「遊戯?」
 3度目の復路で、しっとりと落ち着いた女性の声を背に受けて。期待通りの展開に満面の笑みを浮かべ振り向いたのだった。

「ご無沙汰してます、イシズさん」


* * *



「本当に、お久しぶりですね遊戯。何年ぶりでしょう……」

 観客を見送り入り口を施錠して。最後の一人となった遊戯と肩を並べ、イシズは言った。
「そうですね……5年ぶり、くらいですか。ここで展覧会があって……ボクたちがエジプトに行って。彼が還って、それから一度会ってますから。……うん、5年ですね」
 ガランとした館内を点検しながら歩くイシズの横で、指折り数えた遊戯は微笑む。
「また、お会いできると思って。今日は、来たんです」
「私に?」
「はい」
「そう……」
 立ち止まり、イシズもにっこりと笑った。

 6年ぶりの、童実野町での古代エジプト展。急なその開催に、彼も、彼女も、そして『彼』も。転機を感じとった、だからこそ会う為の努力をして。そうして彼らは再会したのだ。

「瀬人からも、連絡がありました」
「……海馬くん、から?」
「ええ。実は昨晩、既に会っています」
「そっか……そうですか。昨日か……くやしいな、ボクがって思ったのに」
「くやしい……?」
「あ、いえ。何でも、ありません」
 座って話でもと、館内チェックを終えたイシズはスタッフルームに遊戯を招き入れた。

 ソファに遊戯を座らせ、紙コップで申し訳ないけれどとインスタントコーヒーを勧めながら向かいに腰を下ろす。
「なぜ、私に会おうと?」
「この展覧会、急だったでしょう?なんとなく、『動く』ような気がしたんです……だから、もしかしたらイシズさんに会えってことじゃないかって。それに、もう一度、あの石版を見たくて」
「……残念ですが、今回は持ってきていないのです」
「みたいですね、何度も確認したけどありませんでした」
「あの石版は、もともと『展示物』ではありませんから……」
「分かります、分かっていたんです。見世物なんかじゃないって。けど、ちょっとだけ。壁画でもいいから、〈彼〉の姿を見たいなって思っただけで」
 いただきます、柔らかい表情でそう言いコーヒーに口をつける遊戯を、イシズは目を細め見つめた。
「イシズさんが関わっているのか分からなかったから……あの石版もないし、違うのかな、会うの無理かなって思った部分もあったんですけど。時間ギリギリまでうろうろして、会えなかったら諦めようと」
「タイミングが良かったですね。丁度来客を送り出したところで、閉館時間も近いですし私がチェックすると申し出て展示室に入ったところだったのですよ。それに、予定より帰国が早まりましたのでバタバタしておりまして」
「そうだったんですか……本当にタイミング良かったんだなぁ。ボクは単純に、初日なら関係者がいるかなーと思ったので」
 でも人が多くて、結局閉館まぎわに滑り込みですよ。片目をつむって笑ってみせる。
 5年前からすると随分と背が伸びた遊戯は、大人びた風貌になっていて。けれどもその瞳は、あの頃と変わらず澄んでいて綺麗だった。
「ところで、海馬くんから連絡って」
「え?あ、ええ。エジプト展の開催を知り、すぐに連絡をくださいました。『会いに行くから時間を取れ』と」
 おかしそうにイシズは教えた。遊戯もぷっと吹き出してしまう。
「海馬くんも、相変わらずみたいですね」
「あなたたちは……」
「ボクらも『あれ以来』会っていません。〈彼〉の名前を伝えてから、一度も。海馬くんはボクに用なんてないだろうし、ボクも、彼に対してボクが果すべき役目を終えたと思ってますし」
 神妙な顔つきで呟き、コップの中に視線を落とす。そして囁くように言った。
「……やっと、動いてくれたんですね」
「ええ」
「彼、なんて……」
「あなたと同じことを仰いました。『石版に用がある』と」
「…………」
「今回はこのような事態を想定しておりませんでしたし、あの石版は役目を終えた、持って来なかったとお伝えしましたら。エジプトまで、『会いに行く』と」
「エジプト、まで……」
「来週、予定を繰り上げ帰国します」
「それで……?」
「ええ」
「海馬くんは……その、石版に『用がある』って、それ以外には」
「何も。ですが、私は、瀬人と直接言葉を交わし、今回の来日の意義を知りました」
 何の前触れもなく日本に行こうと思った、行かねばならないと思った。海馬に会って、その理由が分かったとイシズは遊戯に告げた。
「ようやく瀬人の準備が整ったのです。彼を導く為、私はここを訪れたのでしょう」
「…………」
 心からホッとしたように語るイシズの前で、遊戯は考え込むように口を噤んでいた。
「遊戯?」
その様子に眉をひそめ、イシズはうつむく遊戯の顔を覗き込む。
「どうか、しましたか?」
「海馬くんは、『用がある』んですね……あの石版に」
「え?」
「ボクは、『見たかった』だけ。見たかったけど、なかったら『仕方ない』って思った。でも、海馬くんは、『用があって』、『会いたい』んだ……そこになかったら、『会いに行く』んだ」
「遊戯?」
「イシズさん」

 ゆっくりと顔を上げた遊戯に、イシズは一瞬どきりとする。
 笑えば子供っぽいその表情は、ひどく真面目で。しっかりと大人の男だった。

「随分と前のことですけど。城之内くんが、ボクのこと〈彼〉の鞘だって言ったんです」
「さや?」
「はい。〈彼〉が剣で、ボクが鞘。闘い続ける〈彼〉はまるで剣のようだったから……剣をおさめるのは鞘でしょう?ボクの中で安らぐことができたってことを、城之内くんは鞘に例えて教えてくれたんです」
「……そう……剣と鞘。そうですね、あなたとあの方の関係はイメージできますね……」
「でも、〈彼〉の『本当の鞘』は、ボクじゃないと思うんです」
「え?」
「ボクは、仮の鞘です」
 穏やかに語る遊戯の声に含むような感情はない、だが。
「何故、仮だと?」
 どこか遠慮するような声音でイシズが問うと、遊戯はさっぱりとした顔で言った。
「だって、本当に〈彼〉の鞘がボクだったら、〈彼〉はずっとボクの傍にいた筈だから。剣は必ず鞘に入ってるでしょ?でも、〈彼〉はボクの中から出て行った……」
「遊戯、でも、それは」
 淡々と語る遊戯が、いっそ危うく感じられて。イシズは焦って口を挟んでしまう。けれども遊戯は構わず続けた。
「イシズさんは、剣に対する鞘の役割をご存知ですか?」
「え……それは……抜き身のままでは危ない、から……?」
「そうです、鋭い刃で周りを傷つけないように。〈彼〉が剣なら、そんなこと絶対に許さないと思うんです。自分が不用意に誰かを傷つけるなんて、〈彼〉には許せない」
「ええ……」
 厳しいけれど情をその奥深くに秘めていた紅い瞳を、イシズは思い出していた。

 〈彼〉と弟マリクのデュエルの中で彼女は感じたのだ。マリクの心が生み出した、あの邪悪な存在の前で。〈彼〉は遊戯と、そして敵対するマリクの命を、同じように救おうとしてくれた。

「鋭利な刃が人を傷つけないように、隔離するのが鞘の役目……そしてもうひとつ。その鋭さを、保つ為でもあるんです」
「保つ?」
「いつでも闘えるように。……どんなに磨かれて、鋭さを増しても、闘っていない時の剣は弱いんです。抜き身のまま外に置かれたら、その刃は傷付けられるかもしれない。曲げられてしまうかもしれない、折られてしまうかもしれない。闘う前に、サビついてボロボロになったら意味がない。剣は、鞘に収めることで『守られる』んです」
「…………」

 遊戯が何を言おうとしているのか、イシズには分かった。同時に今日遊戯と出会った意味も、悟ったのだった。

「城之内くんが言ってくれた『安らぎを与える役目』は、絶対にボクだったって信じてます。それだけは、ボクの役割だったって、信じられます。けど、剣と鞘の例えを聞いて、どこか違うと思ったんですよね……なんだかしっくりこないなって。それは、剣に対する鞘の役割のことだったんです。闘いをやめさせる存在じゃダメなんです、鞘は、剣と共に闘う存在だから。この役目……イシズさんは、もう分かってると思います。ボクが『誰』を、思い浮かべたのか」
「……瀬人、ですね……」
 はい、満足そうに遊戯は笑って答えた。本当に、満足そうに。けれどもすぐに、悪戯っ子のような表情になって告白する。
「イシズさんに、〈彼〉と海馬くんの繋がりを教えてもらった時。ボクは、海馬くんが羨ましくて、ちょっと、憎らしくなりました」

 5年前、〈彼〉が還った後。イシズは自分が知り得る〈彼〉に関する全ての事情を、遊戯に伝えていた。
 千年パズルを完成させ、王の魂を覚醒させた少年。彼はその瞬間、迷える魂を宿す器となる資格を得た。共に闘い、〈彼〉の魂を導き、そして還るべき地へと送り出す。同時に、尊いかの存在に『先』を示す責任も負ったのだった。

〈彼〉と強い絆で結ばれ情を交わした遊戯には、それは辛い役目だったろう。けれども遊戯はりっぱに務めを果し〈彼〉を救ってみせた。だからこそ、全ての事情を知る権利を与えられたのだ。

「〈彼〉と強く結ばれてるのはボクだって、一番はボクだって信じていたかったから。ボクが生まれるよりもずっとずっと前に、関係があったなんて、ズルイと思いました」
「遊戯……」
「ずっと感じてたんです……〈彼〉はボクを大切にしてくれたし大好きでいてくれたけど、遠慮もしてたから。『相棒』のボクよりも『ライバル』であった海馬くんの方が『近い』って。だって〈彼〉、海馬くんには感情むきだしだったもん……ボク、〈彼〉と海馬くんのデュエルを〈彼〉の中で見てる時、知らない〈彼〉をよく発見したんです。ボクには見せなかったものを、海馬くんの前ではうっかり晒してた。〈彼〉ってカッコつけだったから、隠してしまう部分があるのは理解できてたけど……海馬くんには、見せちゃうんだなぁって……寂しかったり、して」
「でも、本当に、あなたとあの方は結ばれていましたよ。あの方はあなたと一緒にいたかったのです……〈闘いの儀〉で、本気で闘ったのがその証拠……」
「ええ、それもちゃんと分かってます。本気で闘ってくれて、すごく嬉しかった……」

 涙は見せなかったけれど、遊戯の明るい表情はかえってイシズを切なくさせた。それに気づいたのだろう、遊戯はそれが『本心』であることを伝えようとイシズの目を真っ直ぐに見つめ口にした。

「〈彼〉が本気で闘ってくれて嬉しかった。ボクも本気で闘えたことが誇りです。『行って欲しくない』なんて自分勝手な感傷に惑わされず、きちんと〈彼〉の幸せを願って送ることができたんだから。〈闘いの儀〉を経験して、〈彼〉の相手に海馬くんじゃなくてボクが選ばれたってことも含めて……海馬くんより『近く』なったかなーって得意になれてたのに。なのに……。ああ、やっぱズルイなぁ」
 ぷぅっとほっぺたを膨らませてみせる遊戯が、演技ではなくおどけているのは明らかで。イシズも思わず頬を弛める。

 遊戯の中で、感情の整理はとっくについているのだ。彼が吐露しているのは、過去の『恨み言』。ようやく『動き』出した今だから言える、過去の感情……それを伝えたくて遊戯はイシズに会おうとした。
 そして、イシズは。遊戯の心を知った上で、海馬に会うことになる……準備の整った、海馬に。

「イシズさん。過去の話を聞いて、海馬くんと〈彼〉の関係を知って。その上で、剣と鞘の例えをボクなりに解釈しました。最初から、〈彼〉の鞘はひとつしかなかったんです。剣が『まっすぐ』で、鞘が『まっすぐ』だったら、引っ掛からずにきちんと収まった。抜いても元に収まった。けど……剣が『まがった』のか鞘が『まがった』のか分からないけど、とにかくどちらかが……いや、どちらもかもしれません、『まがって』しまったんです。だから、剣は収まるべき鞘に入らなくなって、抜き身のままでいるしかなかった。〈彼〉が闘い続けたのは、抜き身のままの自分を守る為です。戻るべき鞘を見失って、そうするしかなかった。鞘を与えてあげなければ、〈彼〉はずっと闘いつづけることになる……剣である、〈彼〉は」
「……〈闘いの儀〉にて、あなたが勝利しあの方はカードという剣を置いた……けれど。あの方自身が剣ならば……」
「そう。『今』も。ボクが取り上げたカードを手にして。闘うのかも、しれません……」
「!それは……それは、あの方にとって、危険な……!!もし再び闘いに身を投じれば、あの魂は永遠に安らぎを得られません!!!」
「ボクもそんなことは許せません。〈彼〉を闘わせたくない、そんなことは許さない。だから『今』の〈彼〉にぴったりと合う鞘を、与えなければならないと思った」

 強い瞳で、遊戯は言い切る。

「〈彼〉を受け入れることのできる、『まっすぐ』な鞘を。……〈彼〉の名前を伝えた時の海馬くんは、まだ『まっすぐ』じゃなかった。これでは無理だって、ボクは思った。昔と多分、同じ事のくりかえしです。海馬くんには『変わって』もらう必要があった。でも、あの海馬くんですよ?ボクが何を言ったって、変わってくれるはずがない。だからボクは、余計なことは一切言いませんでした。時間がかかっても、海馬くんが自分で変わってくれるのを、待つしかない……〈彼〉の何もかもをそのまま、『まっすぐ』に、受け入れてくれる海馬くんを。そう思って……」
「…………」
「イシズさん、海馬くんがちゃんと〈彼〉の鞘になれてるか……」
「見極めましょう……瀬人の本心を、私の目で」

 向かい合う遊戯の手をぎゅっと握り締め、イシズは誓った。
 ホッとしたように、遊戯は拳の力を抜き、そして言いにくそうに声をしぼりだす。

「イシズさん……」
「はい」
「イシズさんも海馬くんも、〈彼〉と過去関わりがあって……なんだか特別っぽいんですけど」
「?」
「だ、だってボクには、〈彼〉の過去が刻まれてるとはいえ『見る』だけの単なる石版が、海馬くんにとっては『用がある』『会いたい』と思える大切な石版だった。それって昔、実際に関わってたから持てる感情じゃないですか。どうしても、そういうのが敵わないっていうか……羨ましいと思ってしまう気持ちが、ボクは自分で、嫌なんです……」
 こういうところが、やっぱりダメなボクなんですよね、遊戯は情けなさそうに漏らした。
 今度こそ、本当に可笑しそうにイシズは声に出して笑った。
「!ちょ、イシズさん!!そんな、笑わなくても……」
「……ごめんなさい」
 頬を赤らめて困った顔をする遊戯に申し訳ないと、クククと漏らしながらも何とか堪え、続ける。
「……でも、羨ましがるなんておかしいですよ。私も瀬人も、特別なんかじゃありません……あの方とは、『過去に関わりがある』から当然のように『現在も関わった』だけなのです。むしろ、過去に関わりのなかったあなたたちが、あの方とここまで深い絆を持てたということの方が、特別だと私は感じますが?」
「え……」
「記憶になくとも関わりがあったという事実は、どこかで引き合うものです。出会った瞬間、何かしら『感じ取り』かつての繋がりを再現するようなもの。全くのゼロから関係を構築するより、余程、簡単なことだと思いませんか」
「あ」
「遊戯、あなたはあなただけの絆を、あの方との間に持っているのです。それは、私や瀬人と比べられるものではありません。それぞれがそれぞれに、違った、特別な、たった一つの関係を、作っているのですから」
「そ……か、そう、ですね……ボクは、ボクだけの……」
 照れたように笑い、本当に嬉しそうに遊戯は言った。
「ホント、〈彼〉が……アテムが、ボクのところに来てくれて。ボクは、幸せでした」

 ずっと代名詞で〈彼〉を呼び続けた遊戯が、初めてアテムと名を呼んだ。
 大切そうに、自分だけのものとして。

「ボクを幸せにしてくれたアテムを、ボクは幸せにしたいと思います。ボクが直接できなくても、幸せにする、手伝いができれば。それで、いいんです……」
「私も、同じ気持ちです……」
 漆黒の瞳は優しく微笑んだ。柔らかな視線に包まれて、遊戯は『知る』彼女に尋ねる。
「ひとつだけ。海馬くんは、アテムと、過去の繋がりを再現できるんでしょうか?」
「……瀬人は、瀬人です」
「…………」
「あの方が望むのは、再現だと思います。けれど瀬人が望むのは、再現ではないようで……。あなたは過去に関係のあった彼らを羨みましたが、かつての瀬人はそれをハッキリと拒絶しました。あれから6年、自らコンタクトしてきた彼が、あの方とどのように繋がろうとしているのか。私は、その『心』を知らねばならない……」
 厳しい目で、イシズは遠くを見つめていた。遊戯は黙って、それを見守る。

 なにかが動きだそうとしている。強い力に導かれ、『新しい何か』が、確実に。

 張り詰めた空気をほぐすように、イシズは「改めて館内を案内しましょう」と立ち上がった。そうして彼らの語らいの時間は終わりを告げた。

 冷めてしまったコーヒーを飲み干し、彼女の後について部屋を出た遊戯は。

『もう一人の自分』の幸せが、もう間近に迫っているような。喜ばしい空気を感じ取っていたのだった。




fin.



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