| 罪と罰 |
| 額から、 その首筋から。 滴り落ちる、熱い汗。 我を忘れ血走った瞳に、 普段の彼が見せる優しさは、ない。 肩に爪が食い込むほどに、力いっぱい押さえつけられて、 冷たい床に転がされたまま ぼんやりとその顔を見上げ、オレは思う。 (そんなに、欲しいのか) (それほどの価値が、このオレにあるのか……?) きっかけは、何でもない言葉だったと思う。 それがどんなものだったのか、自覚できないほどに オレにとっては、何でもない〈日常〉だった。 だが、彼にとっては。 その〈日常〉が『何でもないこと』ではなかったのだ。 * * * * * その日。 マハードは、珍しく熱を出し寝込んでいた。 一日の職務を終えて、オレはひっそり彼の部屋を訪れた。 見舞うつもりで行ったのに。 具合が悪くても、普段どおりオレに気を使うマハードだった。 だから、オレはつい、甘えてしまった―――いや、『だから』だなんて、思ってはいけない。 彼のせいではない……彼の優しさに、オレがつけこんだのだ。 意識してなかったとしても、きっと、つけこんだ。 セトにひどく反発されて、落ち込んでいたオレは 自分を慰める為に、マハードを利用した。 本当は、彼が心配で見舞ったのではないのかもしれない。 優しくされたくて、それを目的にして。 そう、利用したんだ。 マハードが不快に思っても仕方がない。 きっと、高熱で理性のタガが外れて。 それで彼は、抑えられなくなったのだ。 『私に、甘えないで下さい……』 低い声で、言われた時。 オレは自分を、恥じた。 『慰めなんて、期待しないで!!』 苦しそうに言われた時、 オレは自分の、罪深さを知った。 やめろ、だなんて、言えなかった。 暴力のような、口づけをされて 怒りに任せて、衣服を引きちぎられても、 悲鳴を上げる資格は、オレにはない。 オレはマハードの気持ちを、どこかで知っていたのだから。 知っていたのに、知らないふりをして 随分と、彼の心を傷つけてきたのだろう。 これが、この行為が。 愛ではなく、その果てに辿り着いた憎しみなのだとしたら。 逃げる事は許されないと、オレは思った。 床の上に押し倒されて、圧し掛かられて、 身動き一つ、出来なかった。 完全にオレを拘束したマハードは、 全身に、刻印を施してゆく。 噛みちぎられるかと思うほど、痛みの伴うそれだった。 耐える、という表現は今のオレには相応しくない。 当然の報いと真摯に受け止めるだけ。 最も羞恥を感じるソコに触れられても、嫌悪を感じてはならなかった。 乱暴に擦られても、もみくちゃにされても、 ただ、じっと、受け入れるだけ。 けれど――― 「……ぁっ」 彼の次の動きを察して、明らかな制止の声を上げた。 「マハード」 厳しく名を呼ばれて、彼の体がビクンと震えた。 それは初めて彼がした、まともな〈反応〉だった。 「……駄目だ……これ以上はいけない」 声のする方にゆっくりと顔を向け、自分の下に横たわるオレをまじまじと見つめる。 不安定にふらついていた焦点が、漸く照準を合わせた。 同時に 熱に浮かされぼんやりとしていた表情が、みるみるうちに硬くなっていった。 その感情の動きが、オレには手に取るように解る。 「ここから先には、進めない……やめろ」 「あ……私、は、一体……」 「いい、気にするな。忘れろ……なんでもないことだ、オレも……忘れるから」 忘れる、なんて。勝手なことを言っている。 だけど、この先に何が待つのか、オレには分かってしまうから。 これ以上、マハードの激情に付き合うことは出来なかった。 マハードはもう、正気に戻っている。 いつかは必ず、〈正気〉に戻ってしまうのだから……最後まで、行ってはいけない。 「わ、私は、何という事を……!」 「いいから、言ったろ?なんでもないことで、済んだんだ。忘れろ」 いつも穏やかで、感情を表に出すことのないマハード。 こんなにまで追い詰められていたなんて、気づかなかった。 その優しさに甘えて、オレはお前を随分傷つけていたんじゃないか? そう直接言ってやれば、マハードは救われるのだろうか。 いや……それはオレの自己満足にすぎない。 彼が救われるのだとしたら、方法は、ただひとつ。 けれどもそれは『オレの都合』で、実現不可能なことだった。 だから、オレに言える事はこれだけ。 「罪悪を感じることはない……」 これは『罪』なんかじゃない。 「お前の中にあるもの、それを、オレが受け止めただけ」 その感情を、望みを、『罪』だなんて 誰にも言わせない。 「だが、お前にオレを与えてやることは出来ない。お前だけではない、他の誰にも、だ。……これだけは言っておく。お前の全ては、オレのモノだ、マハード。お前の勝手にすることは許されない。いいか、オレの許可なく勝手にいなくなることは。許さない」 大きく見開かれた目から、視線を逸らすことはしない。 彼の性格は解っているつもりだ……罪の意識から、自らの命を絶つことも充分考えられる。 最後までいったなら、止める事は難しくなる。 どうしてもその前で、やめさせる必要があった。 しかし、そこまでいかずとも、 それでも彼は己を許さないだろう。 『そんなこと』は、させられない。 こんな、オレの、為に。 「……ファラオ……」 うなだれ小さくなるマハードを、ただ見つめていた。 冷静に、ただ、ひたすら冷静に。 同情にとられてしまうから、不用意な言葉はかけられない。 酷いことをしているのは分かっている。けれど、今のオレにはこんなことしか言えない。 「いいな、何もなかったんだ……」 言いながら立ち上がり、衣装の残骸を拾った。 どうにかそれを繋ぎ合わせ、隠せるところだけ隠して。 なんとか見られる体裁を整えた。 彼を一人その場に残し、オレはさっさと背を向けた。 そうして振り向きもせず、歩き出す。 ごめん、マハード。 聞こえない、謝罪の言葉を口にして。 後ろ手に、そっと扉を閉めていた。 お前には、罪がない。 オレにはきっと、 罰がくだる。 fin |