■〜秘密〜■


〈 八 〉 20080902



(……?……)



静かに瞼を持ち上げると。
目の前に広がった、真っ白な世界。

反射的に目を細めたが、それは刺すような鋭い眩しさなどではなく、漂うような柔らかさを纏った淡い灯り。そんな優しい光に包まれる〈場〉は、とても穏やかな空気に満たされていた。

(ここは……)

意識が遠い何かを伝えようとしたが、認知する前にかき消されてしまった。

のろのろと瞳を動かす。
そこに気配を感じるのに、輪郭がひどく曖昧で。何度もまばたきを繰り返してみたけれど、焦点が定まらなかった。
かすんでいるのだろうか、そう思い目をこすろうと腕を上げた……つもりが。彼の細い手は、もと在る場所からまったく動いていない。

(……あれ……)

腕どころか、足も、体も。指一本わずかも動かない。

(…………)

四肢を投げ出し仰向けに横たわっている無防備な自分を自覚しながらも、アテムは不安を感じなかった。
焦りもない、恐怖もない。何故だか、すんなりと。

(そうか、動かないのか)

納得して。それ以上のことをやめた。



白い景色を眺めながら、感じていた。
体が、とても軽い。時には枷のようにも思えていた重い装身具は一切身につけておらず、肌触りの良い絹の夜着を纏っている。
背中の下に、馴染む感触。毎晩自分が体を休める寝台とよく似ている。

(なら、ここは……?)

思いつき、目をしばたたくと少しずつ景色が明らかになってきた。

(オレの部屋……じゃ、ない……)

そういえば、いつも使う寝台よりも妙に柔らかい。よく見ようと何気なく首を傾ける。すると、そこだけは彼の思い通りになった。
相変わらず他の部分は動かなかったが、首から上だけでも十分だ。
ゆっくりと周囲を見渡して、確認する。


彼が横になっているのは、やはり自分の寝台ではなかった。初めて接する材質……木製でも石製でもない、どちらかというと、雨の後の柔らかな土のような感じだ。それ以外、家具は何もなく。天井から吊るされた大きな布が周りをすっかり覆っていた。
まるで〈目隠し〉でもするように、外と内とは仕切られている。

(オレは……)

何故、こんなところに?
何かがあった筈なのに、その部分が記憶の中からスッポリ抜けている。眠りにつくまで、何をしていただろうか……思い出せない。回路に混乱が生じたように、考えもまとまらなくて。ぼんやりと、そこにある〈目隠し〉を観察していた。

それは細い糸で編まれた、薄く透き通る布を幾重にも重ねたもの。光や影は内側にいてもきちんと感じられるようで、つまりこの景色の白さは。夜が既に明けていることを教えていた。

(起きなければ……職務、が……)

なのに、またゆるゆると瞼が落ちる。
あまりにも、心地がいいから、
まだ、まどろんでいたい。
起きなければいけないのに、
もう、朝なのに……。



ふわんと風が吹き込んだ。ゆれる布の波間に、人影を見たような気がした。

(誰、だ……?)

気にしながら、ゆっくり。
目を閉じる。
そうして瞼の裏に描かれた、人物の顔。





(マハード……?)





(!!)

ハッと両目が開かれた。

流されてはいけない、見過ごしてはいけない!
あの朝、確か……!!


唯一動く首を精一杯伸ばし、アテムはその姿を求めた。

(マハード!)

ハッキリとは見えない、だが。布の向こう側に立つ、一人の男。背中を向けてはいるが、控えめにひっそりと佇むその影は、彼のものに間違いなかった。

(マハード、そこにいるのか!?)

呼びかけようとしたが、アテムの思いは声にならなかった。パクパクと口が動くだけで、全く音になっていない。

(生きてたんだな?あいつに殺されたなんて、間違いだったんだな!?)

帰ってきたんだ、あの朝のアレは、誤報だったんだ!
あやふやになってしまった自分の意思を組み立てようと、必死で見えない力に抗った。ここを出て、きちんと確認しなければ!彼が、存在していることを!!

『……ファラオ。そのまま……どうか、そのまま』

マハードは、振り返ることなくそう言った。多分……言った、と思った。

『……静かに、目を閉じて。ゆっくりとお休み下さい……』
(マハード……?)

それは、空気を伝わり耳に届けられた音ではなかった。マハードの声は、直接アテムの頭の中で響いていた。

(……?)

何か、オカシイ。

自分はここにいて、彼もそこにいるのに。
どこか、ヘンだ。
ここは……

『ファラオ……お心を鎮めて。お休み下さいませ……』

決してこちらを見ようとせず、マハードは背後のアテムにそう繰り返す。
よく知っている筈の男なのに、まるで全然知らない人のよう。
それにここは……よく知っている場所のようで。
全く別世界のよう――――



二人の間にある薄い布地が、何かを確実に区別する。

こんなに違和感を感じているのに、それでもアテムは不安にならない。
それが一番奇妙だった。

何故、こんなにも。安心できるのだろう?

『僅かな時間です……動かないで。貴方はそこに、いて下さい』
(どういう……?……これは、夢……?)

どう考えても〈普通〉じゃない、アテムは独り言のように心の中で呟いた。
即座にマハードが反応する。

『ええ、夢です。これは、貴方の夢。まだ、目覚める時ではないのです……もう少し……休みましょう』

至極穏やかな声で、宥めるように言い聞かせる。それは明らかに。
彼の、意思。
ということは、つまり……。

(そう……オレの、夢……ならば。マハード、答えてくれ)

〈夢〉だと、思わせたいならば。マハードがどういうつもりか知らないけれど、一応話には乗ってやる。
大人しく横になったまま、アテムは目を伏せて。

(お前は、……死んだのか?)

確かめた。小さな期待を込めて、確認した。
どういう状態であろうと、そこに立つのはマハード。彼は絶対にアテムにウソをつけない。
何があっても、絶対に。

『…………』

暫く返答を待ったが、沈黙だけが流れていく。
マハードは。ウソは、つかない。
無言は、肯定の証。

(そう、か……。もしかしたらと……オレは)

もしもこれが自身の夢ならば。アテムの望みが形になる筈だから……これは、少なくともアテムが見ている夢ではない。
ふぅっと、深く息を吐いて。

(都合が良すぎるよな……お前は、あいつに……殺された)

ぽつりと、呟いた。

(……オレの、せいで)

マハードは、弾かれたように声を上げる。

『ファラオ!それは違います!!』

アテムはじっと、布の向こう側にある大きな背中を見つめた。だが、マハードは決して振り向かない。

『……絶対に、違います』

この否定も、俯いて、手の平を握り締めて。肩を震わせてそれでもこちらを見ずに伝えられた。
この布が隔てるものは何なのだろう?マハードの感情は、そのままの形でアテムに届けられている。
喉から搾り出すように。彼は苦しそうにアテムに訴える。

『罰なの、です。貴方に無断で、貴方にあのような……ことまでして。手柄が欲しくて、勝手な行動をした……その、結果で。決して貴方の……』
(マハード、中に入って来い)
『…………』

まばたきもせずに、アテムはマハードの背中を見つめ続けていた。
いつも自分の背後に控えていた彼。その背を、こんな風に見ることは一度もなかった。こんなにも長く、こんなにもひたむきに。

(オレは、何故か……ここを、動けない)
『…………』
(お前の顔が、見たい)

もう二度と、見られないと思っていた。優しく、穏やかな光を湛える、あの瞳。
何故だろう、今、無性に見たいのだ。

(見せてくれ……)
『……でき、ま、せん……』

だが、マハードはやはり拒絶する。
アテムの中に、小さな不安が生じた。
マハードの視線は、以前と変わらずそこにあるのだろうか。以前と同じように、自分に注がれるのだろうか……もしかしたら。

(見たくない、か?)
『え?』

〈理由〉を思いついて、息が苦しくなった。
そうだ、自分はそのことを、とても気にしていたのだった。

(オレの顔を……いや、姿を。見たくないか……?)
『どう、して……』

忘れたかった、なかったことにしたかった。だが、そんなこと、できる筈がなかった。
誤魔化されていたアテムの記憶は、不安と共に表出する。

(……お前。あいつに……バクラに聞いた、だろ……)
『っ……』

自分から話をふるなんて、絶対に出来ないと思っていたけれど。この世界が与えてくれる安心感は。アテムにそれを言わせた。
〈秘密〉の扉を開ける、その文句を。


(オレが、あいつに……)










ずっと苦しかった。

それは絶対に誰にも知られたくないことだった。知られないように緊張を続け、それでも知られてしまうのではとビクビク恐れ。毎日がとても苦しかった。
たった一度きりのこととはいえ、この身に起きたことは何でもない日常に暗い影を落とした。更に追い討ちをかけた、バクラの再来。関わる人間が増えたことで、苦しみはより複雑なものとなる。

セトは、バクラのあの一言で気づいたかもしれない。前後不覚になったアテムから、察したかもしれない。
アイシスは、熱に魘されたアテムの言動で勘付いたかもしれない。あの時、本当は体を見たのかもしれない。
マハードは、そんな二人から聞いたかもしれない。

みんな、本当は。
この〈秘密〉を知っているのかもしれない……。



絶対に知られていないと信じ、隠し通す事よりも。
知られているかもしれないと疑いながらそれでも隠す事の方が苦しかった。

バクラに刻まれた〈痕〉さえ消えれば、この苦しみは軽くなる……アテムはそう信じ、ひたすらその日を待ち続けた。
だから、漸く〈痕〉が見えなくなった時、『これで証拠はなくなった』と彼は心の底からホッとしたのだ。が、しかし。目に見える証が失われた瞬間、目に見えない証に囚われた。

記憶――それはアテムの中に深く刻まれ、決して消えることはない。

自室で一人きりになると、闇の訪れと共に男の吐息を感じた。いないことを確認しても、不安で目を閉じられない。それでも、翌日の職務の為に眠らなければと義務感から無理矢理目を瞑れば、今度は体の奥に疼きが生じる。とっくに癒えている秘所の傷痕が行為の痛みを再現し、夢の中でアテムは何度も貫かれた。犯される恐怖だけは本物で、悲鳴をあげながら目覚めることは一度や二度ではなかった。

いつしか彼は、〈秘密〉を一人で抱えることに疲れていた。
そうして思いつめるのだ。

思い切って、打ち明けてみようか。もしかしたら、楽になれるかもしれない、でも。

その瞬間、嫌悪の目を向けられたら?
哀れみの表情を浮かべられたら?
蔑みの言葉を浴びせられたら?
自分はどうなってしまうだろう。やっぱり、言えない。言えるわけがない。

彼らがそんなことをする筈がないと信じたいのに、恐れが消えることはない。
彼らを信頼できないことが、また。どうしようもなく、辛い。

何もかも、ぶちまけたい。だけどそれは、出来ない。

苦しい、知られたくない。
苦しい、ぶちまけたい。

辛い、
苦しい、
辛い、
辛い

……ダレカ タスケテ










今、ここにいるマハード。

最期の時、彼は直接バクラから聞いたのではないだろうか。マハードの訃報を受けた時、即座にアテムはそう思った。今もそう考えている。
その彼とこうして同じ空間にいても、アテムが苦しみを感じることはない。

自分はズルイとアテムは思う。死んでしまったマハードだから、きっと苦しくないのだ……。



(オレが……あいつ、に……)
『ファラオ』

それ以上言わせまいとするように、マハードは静かな声で遮った。やはり彼は知っているのだ。確信して、アテムの中で張り詰めていたものが弛んでいった。

依然として、穏やかな空気はこの場に存在している。少なくとも、マハードの中にアテムに対する嫌悪はないと信じていいような気がする。アテムは胸の痞えを吐き出すように、ぽつりぽつりと口にした。

(油断……した)
『ファラオ』
(あいつを甘く見すぎてた、自業自得だ)
『……そんな……』
(でも、だからって……殺せば良かったとは思わない)
『…………』
(そんな風には、思いたくないんだ……だからあんなの、大したことじゃないって、言い聞かせた)
『……ファラオ……』
(その結果……こん、な……)
『申し訳、ありません……』
(何故、お前が謝る……?謝らなければならないのは、オレの方なのに)
『貴方を、お守りできませんでした……』

辛そうな声に、縋りつきそうになる自分を叱り付けて、アテムは毅然と言った。

(自分の身は、自分で守らねばならない。それすらできないようでは、何も守ることはできない……だからオレは、お前を奪われた)
『…………』

話をしながら、気持ちが固まっていく。恐怖は拭えない、己の無力は思い知った、でも。自分は、守る立場の人間なのだ。

(マハード、教えてくれ。お前はいつ、これを知った?)
『なぜ、そのようなことを……』
(……お前が簡単にやられる筈はないんだ……全ての力を解放すれば、ディアバウンドに対抗できたと、オレは知ってる……)

マハードは、力の大半を課せられた使命の為に使っていた。彼が積極的に戦闘に参加することはなく、アテムが彼の全力を目の当たりにしたことはなかったけれど。マハードの〈器〉は、知っていたつもりだ。
バクラと一度対峙しているアテムには、容易に推し測ることができた。マハードが本気を出せば、その力はディアバウンドに匹敵すると。

『……私が、至らなかったのです』
(お前が追い詰められたとしたら。あいつは、オレとのことを持ち出して)
『違います』
(隙に、なったのではないかと)
『違います、それこそ、私の弱さ。決して貴方のせいでは』
(すまない……)
『…………』

マハードを死に至らしめたのは、自分の存在。

皆を守らねばならない立場にありながら、敵に付け込まれる原因になるなど。
王である以上絶対に許されない。

明らかにすることはできないと思っていたから、マハードに直接確認できて出来て良かったとアテムは素直に思った。

(マハード。顔を、見せてくれ……頼む)

誠実な心を持って、アテムは依頼した。
マハードがどんな目をしていても受け止められる。恨みでも、悲しみでも、痛みでも……いかなる感情を向けられても、逃げたく、ない。だから、

(オレを、見て欲しい……)
『……オ……でき、……な……』

だが、マハードは震える声で拒否し続けた。



こんなにも頑なに拒むのは、何故なのだろう。どうして傍へ、来てくれないのだろう。
こちらから、出て行くべきだろうか。

『ファラオ!動かないで下さい!!そこから、出ないで……!!!』

アテムが動こうとしていることを悟り、マハードはガラリと声色を変えた。
控えめで弱々しいそれは一変し、厳しい口調でアテムを牽制する。

『こちらに来てはなりません!貴方はそこを、出るべきではない……!!』

構わず、アテムは動いた。
動けないことに素直に従っていた時は、あんなにも心地よいと感じる空間だったのに。無理に体を起こした瞬間、

(っ……!)

ぐにゃん、と視界が歪んだ。
押し潰されそうな圧迫感を感じて、途端に息苦しくなる。

『ああ、お願いです、まだ……』

どこからともなく生ぬるい空気が流れ込んできた。何だか気持ち悪い……妙に肌がベタついている。汗をかいているのか?

『これ以上、近づかないで!』

どうにか寝台から足を下ろし立ち上がろうとしたのだが、上から押さえつけるように圧がかかり、簡単には動けなくて。腰掛けた状態のまま、アテムはマハードの言葉を反芻する。

(これ、以上?)

引っ掛かりを覚えた。
マハードは、アテムと接することを拒否していたのではないような……彼は、この状態を、動かしたくなかった……?

(くっ……)

確かに、動こうと思う度それを留めようとする力が働く。振り払おうとすれば、苦痛を伴うほどに。

(近づくなって……)

呼吸が浅く速かった。まるで熱に浮かされているように、落ち着きがない。体の深部に潜む何か……蘇る……内部で何かが蠢いている。この感覚には覚えがある。
ああ、イヤだ……この感じは嫌なんだ。こんな、こんな……でも。

(行かなければ)

意を決した瞬間、ピシッと小さな音がした。この世界を護る〈力〉に亀裂が入る。と、焦ったようなマハードの声が飛び込んできた。

『こちらは〈私たち〉の領域……貴方がそこで動かずにいれば、やり過ごせるのです!あと少しなのです……!!』
(な……に、を)
『そこを出てはなりません!私に……どうか、今度こそ私に、貴方を守らせて下さい!!』
(マハード……?そこで、何をしている?)
『…………』

マハードは答えない。

動悸が激しくなってきた。
……あいつの〈におい〉がする……オレの〈中〉に残ってるあの……。

徐々に記憶が蘇る。



王宮は、またも襲撃された……アクナディンが襲われ、千年眼を奪われて。自分は一人、バクラを追った。
追い詰めて……追い詰められて、そして……?



(オレ……)

ガクガクと震えが生じた。その気配を感じたのか。マハードは低い声で言った。

『あの者は貴方を穢せはしません。交わることなど不可能なのです、あの者は……』

ハァハァと自身の息遣いが煩くて、
ドクドクと脈打つ心音が邪魔をして。
マハードの声がかき消される……

彼が言わんとするもの。何か大切なことのような気がする。
近くに行って、聞かなければ――――


アテムはやっとのことで立ち上がり、フラフラと布越しに見えるマハードの背に迫った。マハードは、すぐそこにアテムがいるにもかかわらず、やはり振り向かない。
ただ、鋭い声で、叫んだ。

『ファラオ、目に見えるものがそこに〈在る〉とは限りません!〈見よう〉と、なさらないで!!』










アテムはグッと布を握り締め、力いっぱい引っ張った。パキンと何かが割れたような音がして、頭上に布が降って来る。その向こうにマハードの姿はない……白い景色は、一瞬で黒く塗り潰されていた。

(あ……)

重苦しい闇に取り囲まれ、途端にせき止められていた不安がドッと押し寄せた。アテムは思わず布を掻き抱く。腕の中にしっかりと抱き込み顔を埋めると、そこに微かに残っていた思念。

『そのまま……動かないで。私が貴方を、お守りします……』

漸く理解した。
きっとあの〈場〉は、マハードがアテムを守る為に作り出した空間。
この身を包んでいた安心感は、マハードのアテムを想う心そのものだ。

(マハード……)

何度も深く呼吸をして、どうにか心を落ち着けて。恐る恐る顔を上げる。
見渡したが、暗闇の中のどこにも、アテムが恐れる〈男〉の姿はなかった。

アテムの周りに辛うじて、〈護り〉の余韻が残っていた。そのまま、ここを動かずにいたのなら。傷つく事はないだろう。彼が言うように、やり過ごす事ができるのだろう。

(でも、マハード)

そろりと布を手放して、アテムは静かに立ち上がった。鋭い視線で前方を睨みつけ、ゆっくりと一歩を、踏み出す。

(マハード。オレは、守られるだけのモノじゃない。オレは、守る者なんだ)

自分を守る為に、彼が何かをしようとしている。それを知った以上、動かぬわけにはいかなかった。
甘えることは、もう許されない。



近づく。

幾分、暗闇に慣れ、目指すべきものが浮かび上がってきた。見るなとマハードは言ったけれど、多分。
きちんと〈見なければ〉ならないものなのだ。

微かに見える、蠢く影の塊。

肌に纏わりつく、嫌な熱気は
どうやら〈そこ〉から、漂ってくる。

苦しい、
苦しい。

歩きながら、ひどく息苦しいと思った。
それでも、前に進む……。



いつの間にか、暗い洞窟の中に迷い込んでいた。

少し湿っぽくて、足元はこけむしている。柔らかい地面に気を取られ、アテムは歩を止めていた。
この感じ……さっき横になっていた台も、こんな風に柔らかかった……眠る自分をイメージする、と。荒い息遣いを聴覚が捉え、ぎくりと顔を上げた。



目を凝らす……すぐそこにある影は、一つではなかった。
二つ、だ……。

その正体を捉えた瞬間、アテムの息は止まった。





自分はここにいるのに、〈そこ〉にいた。

従順な風情で、横たわり。
足を広げ、男を受け入れている。

「ん……」

濡れた口唇から、吐息と共に漏れる声。

「や……ぁ……」

とても拒絶しているとは思えない。ウットリと、恍惚に酔った表情……これは、誰?

「イイ、お顔だ」

低い声に視線を移せば、呟くその横顔はバクラのもの。
淫楽にとろけきった笑みを浮かべ、〈アテム〉と交わっていた。

「そんなシめつけんなよ……イっちまったら、あんた気持ちよくさせらんねーだろ」

言いながら、激しく腰を打ち付ける。



信じられない、信じられない!
冷水を浴びせられたようにアテムは硬直した。
躯が揺さ振られるのに合わせて、甘い喘ぎ声をもらす〈自分〉がそこにいる。

(……ぅっ)

こみ上げる嘔吐感。慌てて口を手で覆い、アテムはその場に蹲った。
目を背けても、嬌声が穴倉に響き渡る。
耳を塞いでも、悦さそうに薄ら笑っている〈自分〉の顔が脳裏にこびりついてはなれない。

まさか、あんな声が出るなんて。
あんな、あんな表情……あの時も、浮かべたのだろうか?

もしかして、自分は本当は……





「あ……んっ」
「……たまんね……!」
(!!)

ある種の、衝撃があった。

(あ……あ……)

体内に、注ぎ込まれたと思った。刹那、アテムの体はぐっと引っ張られバクラに組み敷かれる〈アテム〉に、ぶつかった。

『それは貴方ではありません……あの者の願望のカタチ……』

アテムが〈戻る〉と同時に〈出て行った〉誰かは、すれ違いざまアテムに囁いた。

『貴方は、汚させない』





「ぇ……」
「王サマ、すんげーヨかったぜ……結構、体の相性良かったんだな。〈力〉を頂いたら、消えてもらうつもりだったが……」

何が何だか分からなかった。
いきなり目の前に、バクラの顔。
恐怖で固まるアテムの首に手をかけ、男は口元を歪めて囁いた。

「勿体ないからさぁ……もう少し、生かしておいてやる」

クっと首を絞めるフリをして、バクラは身を屈めアテムに口付けを落とした。そうしてゆっくりと体を起こし、名残惜しそうに指を解く。
呆然としているアテムを気にも留めず、立ち上がり。さっさと身支度を整えて。

「今度は、正気ん時に……楽しめると、いいな……」

ぼそっと口の中で呟いたその横顔は、切なそうにも見えた。だが、すぐにニヤリといつもの笑みを浮かべ、何事もなかったかのように背を向けて。そのまま闇の中へと消えていったのだった。










(どう……いう……)

激しいショックと混乱で、感覚が麻痺していた。感情も、まったくもって動かない。アテムはのろのろと体を起こして、自分を見下ろした。
衣装は取り払われ、あられもない姿だった……が。

「?」

そこには、なんの痕跡もなかった。

ひどく汗ばんで、肌はベタついていたけれど。それは全て自身の発したもので、他人の〈におい〉がどこにもない。それに……確かに、『注がれた』と感じたのに。

「これは……一体……?」





つい先程見た情事こそが、夢だったのではないかと思うほどに。
男の残したものは、何一つアテムの内には存在しなかったのだ。







To be continued...