■〜SECRET〜■


〈 7 〉 20080722



……ぬるい風が吹いていた。

ねっとりと肌に纏わりつくような湿った空気に乗って、〈彼〉に届けられたのは。
屍から発せられる死臭と生者の流す血の香り。

倒れてきた柱が幾重にも重なり、土壁が崩れ出来た穴の入り口を大通りから見えなくしていた。そこに身を隠していた少年は膝を抱えながら、充満する生臭さにこみ上げるものを必死に堪えていた。

僅かな声も漏らしてはならない。
〈奴ら〉に見つかったら、全てが終わりだ。

(オレは『生きる』んだ……!!)



街から遠く離れた土地に、人目を避けるように存在する小さな村は。その夜、大挙して押し寄せた兵にパニックとなっていた。
突如住処を暴かれた人々は、闘う用意もなく次々と刃の餌食になる。
それは一方的な殺戮に見えたが、彼らに非がない訳では決してない。そこに暮らしていたのは、神聖なる王家の墓を荒し、宝物を盗んで生計を立てていた盗賊団なのだ。
長いこと、傍若無人な振る舞いをしてきた一族は、遂に盗賊狩りの洗礼を受けることとなった。

生きて捕らえられた者は一人もいない。皆、文字通り命を狩られていた。
犠牲となった盗賊たちにその本当の目的が知らされる筈はなく、少年も、ワケが分からないまま悪夢の時間を耐えていた。



彼の中に恐怖はなかった。
いや、感情が麻痺してしまい、自覚出来なかっただけなのかもしれない。それが、逆に良かったのだろうか……逃げ惑う大人たちの足元をすり抜けて、彼は誰もが見過ごしたこの場所に気がつくことが出来た。
こうして、物音一つ立てず息を殺してじっとしていられるのも『何も感じられない』からなのだ。



怒声や悲鳴が方々から聞こえたが、やけに遠く、どれも単なる雑音でしかなかった。
肉を分断した刃の光は闇夜に煌いて、血に濡れた様は綺麗だとすら思った。

ただ、ただ。この臭いがたまらない。
誤魔化しようのない、直接的な感覚。それだけは、自分が身を置く現実の悲惨さを伝えてくる。

(早く……なくなんねーかな)

随分前に、数人の兵士に追い立てられた集団が通り過ぎて行ったっきり。傍の通りにひとけはなく、静かなままだったから。
少年はホッと息をついていた。
無事に、やり過ごせたのかもしれない。このまま、さっさと。終わってくれないだろうか……。



「おいっ!」

間近で呼びかけられ、びくんと体が震えた。
頭上から降ってきた太い声に、恐る恐る顔を上げる。

しゃがみ込んでいた少年を見下ろしていたのは、彼の〈仲間〉である男だった。

「な……んだよ、あっち行けよ。目立つだろ」

大人である男の体は、柱の影に隠れていない。
これではまるで、目印ではないか……少年は慌てた。

「ここは狭いんだっ二人は無理……」
「だからお前が出ろ、早く!」
「ちょっ……!!」

やせっぽっちの腕を力いっぱい掴み上げ、男は少年を隙間から引っ張り出そうとした。

「やだっ!ここはオレが見つけたんだ!!別のトコ探せよっ!!!」
「ごちゃごちゃ言わずにどけ!探すまでもねぇ、今、見つかった!!俺がここに入るんだよ!!!」

足を踏ん張って、何とかその場に留まろうとしたのだが。大人の力には敵わなかった。
少年はズルズルと外に引きずり出されてしまう。

体を囲む壁が失われた途端どこかで女の悲鳴が上がり、せき止められていた恐怖がどっと押し寄せた。

「見つかっちまうじゃないかっ!」

震えそうな声を必死で押さえ、彼は自分の代わりに隙間に入り込んだ男に取り縋った、が。

「てめぇが助かっても、何もできねーだろうが。ガキの命にゃ価値なんぞねーんだよっできることっつったら俺たち大人の身代わりぐれーだ。そら、行っちまえ!奴らの目を引き付けろ、殺られちまっても後からいくらでも報復してやっからよ!!」
「!!」

思い切り突き飛ばされ、少年は道の真ん中に転がった。
と、何かに背中をぶつけ。

キラリと光るものが目の上をかすめた。

瞬間、顔面に焼けるような感覚。
何が起きたか分からず、咄嗟に両手で顔を覆い、冷たい土の上に蹲る。

指の隙間を流れるものは、ひどく生温かかった。





「ひぃっ!た、助けてくれ、見逃してくれよぉ!!うわぁぁぁーーー!!!」

男の絶叫を聞きながら、少年は思った。

(ざまーみろ……)

だが、鮮血に染まる視界は彼に『終わり』を告げていた。

(オレも……切られたんだ……)



痛みはなくて。

あっさりしたものだなと自分を笑った。
どくどくと流れ続ける液体に〈生〉の証を感じ、傷口を押さえる手にぐっと力を込めた。
こんなものでは死なない……だが。

戻ってくる足音を聞く。
見つかってしまった。

覚悟を決めて、〈仲間〉を始末し自分を見下ろしている兵士を睨みつけた。
さぁ、殺すなら殺せ!!
しかし、

「子供の方が、潔いな。いい、目だ……。お前が先に、隠れていたのだろう……盗賊というものは、情けもないのか」

向けられた瞳は。
憐憫の情を湛えていた。

「可哀想に」

ぽつりと吐かれた台詞に、少年の時間は止まった。



兵士の顔をまじまじと見つめる。けれど、その男がどんな表情をしているのかよく分からない。
全ての音が消え去り、兵の声だけが耳の中で響いていた。

――可哀想に――

カワイソウ?
ダレガ?

「……ボウズ、そのまま傷を押さえておけ、死にはしない。私は何も、『見なかった』」

兵士はそのまま踵を返した。
少年は呆然とその背を眺める。

どういうことだ、どうして。

(オレを、見逃す?)

――可哀想に――

可哀想?
誰が?

この、オレ様が……?



「!!」

カッと何かに火が着いた。
許せないと思った。自分を憐れんだ、この兵士が。

見透かされたような気がしたのだ……『価値がない』その言葉にショックを受けていた心を。

助け合いなんて精神、この集団にはなかったけれど。それでも、身代わりになれと惨劇の渦中に放り出されそうになったことは辛かった……悲しかった、寂しかった。
そんな風に感じた自分が弱者のようで、とても嫌だったのに。
まさに弱き者であることを肯定するかのような兵士の態度は、彼をとてつもなく惨めにした。

少年は、立ち上がり。
整理できない様々な感情を抱え、血走った目で周囲を見渡す。
そうして、遺体に突き刺さったままの短剣を引き抜くと、遠ざかる兵士の背中を追いかけた。

「わぁぁぁぁー!!!」

叫び声に兵士が振り向く。

その胸めがけて、少年は体当たりした。
心臓を、迷うことなく一突きにする。

「くそっ!くそっ!!くそっ!!!」

地に崩れ落ちた時には既に絶命していた体に馬乗りになり、彼は何度も何度も剣を突き立てた。
脂と血糊にまみれ、ついに刃が抜けなくなって。
柄を握り締めたまま、少年はハァハァと苦しい呼吸を繰り返す。



少しずつ、落ち着きを取り戻し。
自分が跨る相手を見下ろした。

即死であった兵士は目を見開いたままだったが、とても柔らかい表情をしていた。
そう、若くはない。
もしかしたら、少年の父親くらいの年齢だったかもしれない。
もしかしたら、少年と同じくらいの子供がいたのかもしれない。

自分を身代わりにしようとした男の冷たい目と、助けてくれようとした兵士の温かい目。
無意識の内に二つを比べていた少年の瞳から、涙が零れ出た。



生まれて初めて受けた情は、とても居心地が悪く嫌なものだったけれど。この手で消してしまったのだと認めると、ひどく悲しくなってきた。
どうしようもない苛立ちと悔恨。
二つの心が彼を苦しめた。

こんなものいらなかった、どうしてオレに教えたんだ!
あのまま殺してくれたなら、知らずに済んだのに……。
こんな風に『生かされて』しまっては、惨めなだけではないか!!

泣きながら、彼は堅く心に誓った。

憎まねば。
お前みたいな人間は、憎まなければいけない。
この先も、ずっと、ずっと。

オレをこんな目で見る奴は、片っ端から傷付けてやる!!


「憐れな……」


背後に聞いた、新たな声。
ハッと顔を上げたが、相手を確認する間は与えられなかった。

体を貫かれたような衝撃。
少年の体はぐらりと揺れ、静かに、土の上に落ちていた。
ぼんやりと目を上げれば。そこにあったのは、同じ視線。

『可哀想だ』と言っている、漆黒の――――










「ッ!?」

汗だくになって飛び起きた。



何だ、今の映像は?

ドクドクと動悸が激しく打っていた。
とても嫌な……〈夢〉だ。



いつの間にか、日はすっかり落ちていた。
辺りは薄暗く、一瞬まだ夢の中にいるのかと錯覚を起こした。
何度か瞬きを繰り返し、状況を確認する。

王宮の外壁にもたれかかり、足を投げ出して。
バクラは少し、眠っていたらしい。

軽く記憶が混乱していた。
自分はどうしてここにいるのだろう……

「……ああ……」

首に掛かる千年輪が目に入り、再び王宮襲撃を計画したのだったと思い出す。

闇に包まれるまで、身動きは取れない。なのにどうしても落ち着かなくて、早々にこの地に赴いて……うたた寝をしてしまうなど。
余裕の表れか。

「ふっ」

皮肉な笑みを浮かべ、こめかみを流れる汗を拭おうと顔に手をやる。
と、右目の古傷に、指先が触れた。

「…………」

この傷。

記憶に残らないほど遠い昔に刻まれたのだと、思い込んでいたけれど。
改めて考える。

これは、いつ、付けられたものだった?
先程の夢は、村が襲撃された時のもの。
あの時、兵士に切りつけられた……?

「…………」

いや、そんな筈はない。
自分は、ずっとあの場所に隠れていた。

誰にも見つからず、最後まで。
そうして、村でただ一人、生き残ったのだ。
だから今、ここにこうしているのだろう……?

「くだらねぇことを……」

苦々しく呟きながらも、何故か。

『憐れな……』

その声が、耳にこびりついて離れない。
妙に気に掛かる、この声。夢なのに、実際に聞いたことがあるような。

「けっ」

軽く頭を振って立ち上がり、バクラはディアバウンドを呼び出した。



つまらない夢にケチは付けさせない。
見上げた空には月も星もなかった。闇に閉ざされたこの夜は、バクラの為にある時間。

「期待、してんぞ……?」

精霊獣の能力を発現し、バクラは闇に輪郭を溶かした。



昂ぶりすぎなのだ、きっと。
だから、自分を『憐れんだ』王のイメージが、あんな形で夢に現われた。

その結末のことは努めて忘れ、バクラは遂に動き出す。
誰にも悟られず、門を潜り。

決着をつける為に、アテムの元へと向かったのだった。


* * *



夢の余韻か、どうにも気持ちが不安定だった。

思えば、そもそもの始まりはあの少年王が見せた〈情〉
とにかくそれを、目の前から消してしまわなければならない。そう考えた。

(王は、どこだ)

バクラの目的は、たった一人、彼だけなのだ。



アテムの姿勢は心地が悪い。

『簡単に奪って良い命なんてない』

心の中心に居座り続ける、彼の言葉。

『あの方は、相手が何者であろうとも、いつもお心をくだき……』

更に気分を悪くする、神官の言葉。

思い出す度にムカムカする。
忘れようとしても忘れられない己にさえも腹が立つ!

この苛立ちを払うには。
王を捻じ伏せ、長髪の男殺害の経緯を知らせることだ。
徹底的に打ちのめし、そして……

「あの竜神を頂いて。おさらばよ……」

わざわざ自分に言い聞かせねばならない程、バクラは『望んで』いた。


――欲しい――

何が?

〈神〉が欲しいのか、
それとも。

〈彼〉が。欲しいのか。


とにかく。


どこだ、どこだ。
王は、どこだ……





広大な敷地の中心に建つ宮殿を真っ直ぐに目指していたバクラが、ふいに、足を止めた。

「……?」

胸の千年輪が、妙な音を立てていた。
いや、実際に音が『聞こえた』わけではなかったのだが。
男の意識は、それを敏感に捉えた。

キーン……と、響き合う。
〈共鳴〉とでも言おうか。
眉を寄せ、宝物を手に取る、と。

単なる飾りとしか認識していなかった三角錐の部品。
輪の周囲にぶら下がる5つの内一つが、何かを伝えるかのように揺れていた。
両手で支え持ち上げてみれば、はっきりと、方位をバクラに指し示す。その先に、『向かえ』とでも言うように。

「…………」

元の持ち主のことを考え、バクラは一瞬躊躇した。
最後の最期、意味深長な台詞を吐いた魔術師。そんな男の所有していた宝物の意思などに従っていいものか。しばし迷ったのだけれど、唾をひとつ飲み込むと導かれるまま歩き出した。



綺麗に補そうされた石畳を踏みしめながら、バクラは歩を進める。その時になって漸く気づいたのだが、王宮内はやけに静かだった。
警備兵の数はバクラが初めて襲撃した夜より余程数を増やしているのに。
活気がなく、どことなく厳かで……沈んでいた。

そういえば、と思い当たる。

この宝物の持ち主の最期。それは今や、ここにいる誰もが知るところなのだろう。
たった一人の神官の〈死〉は、こんなにも空気を重くするものなのか。そんなもの、日常的にそこらに転がっているというのに。

「まるで、別世界だな」

未だ脳裏に残る〈過去の夢〉と比べながら、バクラはぼそりと呟いていた。





千年輪の案内により辿り着いたのは、宮殿内部ではなかった。
敷地の西側にあたるその場所には、長方形に切り取った石を積み上げ作られた、三角形の建物があった。外壁には他の建物のような装飾は何もなかったが、それが却って〈特別〉な場である事をバクラに教えた。内側から漏れる〈気〉が、何に阻まれる事なく直接感じられたのだ。
バクラは誘われるように石段を登り。そうして、続く黒い口の中へと姿を消した。

内部は随分と狭かった。数え切れないほどの蝋燭が立ち並んでおり、炎は壁に沿ってぐるりと囲むだけでなく上方に向かっても等間隔に列を成している。
にも拘らず、非常に暗い。
バクラはディアバウンドの能力を無効化し、その姿を目に見える形にした。
ここでは、『隠れる』必要はない。

建物の外側からは、石を組み上げただけの建築物に見えていたのだが。よくよく目を凝らして見れば、それらは単なる石などではなく、石版だった。それぞれに、封じられた魔物の絵が浮かび上がっている。
言うなれば、ここは〈石版の神殿〉

何故千年輪は、こんなところにバクラを導いたのか。

中に入ってからは、何の反応も示さない千年輪。不審に感じ始めた、その時。

「やはり……次は、私か」

頭上から、静かな声が降ってきた。



部屋の中央にはさらに石版が積み上げられ、小高い丘を造っている。その頂上に。ひっそりと立つ初老の男の背があった。
ゆっくりと振り返った男の左目を見て、ああ……とバクラは納得する。

そこにある、千年眼。
あの感覚が〈共鳴〉ならば。輪は、これに反応していたのかもしれない。

「まるで。オレが来る事が分かっていたような口ぶりだな」

段に足をかけ、バクラは話しかけた。
距離を詰めながら、どうにも不思議な感じがしていた。

一度目の襲撃の時、見ただけなのに。この男、全く別の場所で会ったことがあるような……?

「……クル・エルナの者ならば。まずは千年輪、そしてこの私に用がある筈……」
「……?……貴様、は……」

近づいてくるバクラを、落ち着きはらって迎えた男――アクナディンに、バクラは眉を顰める。
どういうことだ?何故、ここでクル・エルナが出てくる?

「思い出したのだ……その、傷。先日の襲撃以来、気になっておったが。そう……お前は、あの時の、子供……」
「!?」

パン……と、心のどこかが弾け、バクラは慌ててそれを押さえ込む。
いけない、こいつにこれ以上思い出させては……違う!
オレが!!
『思い出して』はならない……!!!



「っ!!」

床に落ちる影に潜んでいたディアバウンドの拳が、前触れもなくアクナディンを打つ。
すんでのところで身を捩り、直撃は何とか免れたアクナディンだったが。衝撃波に巻き込まれ、体を吹き飛ばされていた。圧に押され壁に激突すると、そのまま床へと落下する。
老体は、固い石の地に叩きつけられ、くぐもった悲鳴を漏らしていた。
その様子を冷たい視線で眺めやり、バクラは低く呟いた。

「クル・エルナ……クル・エルナ。どいつもこいつも簡単に。知りもしねぇくせによ……軽々しく口にすんじゃねーよ!」

暴いてはならない過去がある。
決して思い出してはならない事実がある。
そいつに触れようとする者は全て。

「余計なことを……。てめぇにも。あの魔術師と同じ道が待ってるぜ……?」

語りかけながら、倒れているアクナディンの傍に片膝をついた。
上向きにした顔を覗き込むと、アクナディンはうっすらと目を開けた。

「う……ぁ……」

何かを伝えようとする老人の瞳は、恨みがましいものではなかった。
それはどちらかといえば……。

「気に入らねぇなぁ……その、目……」

忌々しそうに唇を噛み。
バクラはいきなりアクナディンの右目を、突いた。

「ぐあ……あ、ああああ!!」

絶叫を心地よく感じながら、続ける。

「そうさなぁ……一つずつ、『返して』もらうとするか。もともとこいつらは、オレの〈仲間〉の血や肉だ。っつーことは、だ。オレ様に、持つ権利があると、思わねぇ?」

左目に埋め込まれた千年眼を指差し、言い放った。
生の目を突いた手刀からポタポタと血が滴る。
その刺激に気を保つアクナディンは、震える手を伸ばしバクラの腕を押さえた。

「確かに、あ、の時……我が手、で……。ま、さか……生き、……」
「……もうろくしてんじゃねぇよ。オレはこの通り『生きて』いる」

老神官に手首を捕まれたまま、バクラはゆっくりいたぶるように指を沈ませる。
左目に埋め込まれていた千年眼をくり抜くまでに、アクナディンは僅かな悲鳴も上げなかった。印象よりも随分と体が衰えて見えるこの男は、既に虫の息だったのだ。
一思いに殺ってやる必要はない。

放って置けばこのまま……存分に苦しんで、死ねばいい。



『憐れな……』

同じ声、
同じ、瞳。

あの夢の男は、アクナディンによく似ている。
ただ、あれから過ぎた年数からすると、この歳の取り方は計算が合わない。妙なことを口走っていたが、互いに似たような記憶の混乱があったのだろう。
きっと関係はない、あれは単なる〈夢〉なのだから。
そう、自分を納得させたいのに。

バクラはどうしても不安を払拭できなかった。



オレは、『生きて』いる。
ここに……『生きて』いる……。

信じたいのに、不安でたまらない。
だから、この生を実感する為に。
感じなければ、手の中に。

「王サマ……あんたは信じさせて、くれるよな……?」





大きな爆発が起こった。
建物の一部を破壊し、血まみれの千年眼を握り締めたバクラは煙の中から飛び出す。
今の衝撃で、気付いた筈!



どこだ、どこだ。
王は、どこだ……

オレはここだ。
ここに、在る!



得たいの知れない恐怖が、後ろから追いかけてくる。
バクラは夢中で走っていた。どこかが欠けて、不完全な〈自分〉
その空白を埋めるかのように、必死でアテムを探した。

闇に姿を隠す余裕もなかった。
彼の姿を捉え、兵どもがわらわらと集まって来たがディアバウンドで蹴散らし。
ひたすら、走り続ける。



どこにいるのだ、姿を見せろ。
オレの前に、その姿を……

姿を、見せろ!!


――だ……。……は、ここに――


「!!」

引っ掛かった。


――は、ここだ――


意識の端に。
〈あっち〉も、自分を探している……!


―― 出て来い!――



声に惹かれて、足を止めた。

渡り廊下の屋根の上に佇み、バクラは遠くに見える王宮のバルコニーの影に目を細める。

そこに、アテムが立っていた。
身を乗り出して、見つめている。
『見て』いる、こちらを。しっかりと『見ている』

その瞬間、何かが『満たされた』

「……王サマ……」

目が合えば、ホッと表情が弛む。バクラは見せ付けるように腕を上げた。
そこには、真っ赤な雫を滴らせる、黄金の眼。

「2人目の、犠牲者だ……次は誰かな?止められるのは、あんただけ……」
「バクラ!!」

こんなにも離れているのに、ハッキリと耳に届いた声。
自分の名を呼ぶその声が、なんとも心地よい……。



バクラは身を翻し、あえて視界から消えてやった。
必ず王が追ってくることを期待して。

(選択権はそっちにある。追うのも逃げるのも、あんたの自由だ。どうする……引くか?それとも、自ら飛び込んでくるか?オレの、腕の中に!)





目についた兵士を一人殺し、馬を奪った。
尻を打ち走り出しながらディアバウンドに命ずる。

「さぁ!〈神の手〉で、王に道しるべを!!」

高笑いを上げながら、門へと向かう。



闇に溶けたディアバウンドを視覚で捉えられはしない。だから、馬で駆けて来るバクラを止めようと兵たちは果敢に立ちふさがった。だが、誰一人としてバクラに触れられず、バタバタと倒れてゆくだけ……目に見えぬ精霊獣の拳は、容赦なく彼らの肉体を切り刻む。
バクラが走り去った後には、〈道しるべ〉の遺体が点在した。

(急がないと、どんどん増えるぜ?)

そう心の中で呟くと同時に。
背後に感じた、巨大な力。


――神!!――


振り返れば、王は供も従えずたった一人で駆けて来る。紅い竜神を操りながら。

「死にたくなければ、止まれ!貴様に照準は合わされているっ」

馬上から叫んでいた。その警告が、可愛らしく思える。
そんなもの、何の脅しにもなりはしない……どうせするなら。

「残念だが。あんたは優位じゃないんだよ……」

言われたとおり馬を止め、バクラは王の背後に回らせたディアバウンドに命じる。



「……これ、は……」

王のよく知る男の技を、目の前に示してやった。
流石に避けられたが、彼の驚きはバクラの期待を裏切らない。

「な、ぜ……」

教えてやる。
魔術師から『盗んだ』のだ、と。



アテムは警戒してか、神で牽制するに留める。
その姿勢にバクラはほくそ笑み、そっと心の中で呟いた。

(そう、それがいい……今はまだ、全てを知る時じゃない。待ってなよ、後からじっくりと……)

目の前で、いや、自分の下に組み敷いて。極間近で教えてやるのだ。
王の力も、手中にしていることを。
それを使って、奴を殺したことも。

彼の動揺を、恐れを、後悔を。この唇で感じながら……その為に。

「なぁ……ゲームをしねぇか、王サマよ」
「ゲーム……?」

誘う。
決して逃げられない遊戯へと。
そうして、邪魔の入らないところでじっくりと。
紅竜を手にする方法を確かめる。

「追っかけっこの始まりだ!」

言うと同時に走り出せば、王は即座に反応した。
躊躇いもせずに、バクラの後を追ってくる。

あまりにも素直だから、すこぶる気分が良かった。
先程までの不安はどこへやら……バクラの心はとても安定していた。





王は勝手に自粛した。

思わせぶりなことを言えば用心し、下手な攻撃はしてこないだろうと思っていた。
だが、こうまで簡単に引っ掛かるとは。

アテムはどんな攻撃もすることはなく、バクラをただ追うだけだった。
それでは面白くないと、バクラはあえて街中を走った。
彼が最も大切にしているものを手当たり次第に攻撃すれば、守ることに必死になる。アテムの神はその身を挺して人々を守った。それを見越して、王へのダメージはギリギリに抑えた。
誰の為でもない、バクラ自身の楽しみの為に……。

アテムの気力が萎えそうになれば、適度に〈刺激〉を与える。
これみよがしに千年輪を掲げて見せると、彼は熱くなって食いついた。



逃がしたくはない、絶対に。
だが、無理強いはしていない。
大事なのは、彼の意思でついて来ること。

(追っているのはあんたの方。いつでも後戻り出来るんだ)

きっと彼も気づいている、バクラの罠にはまっている事に。
それでもどうしようもないのだ。

(可愛いねぇ……あんたは、本当に)






街を抜け、国境付近まで誘き寄せた時には神は形を失っていた。
王を守るものは何もなく。アテムはその身一つで、涼しい顔をして立つバクラに詰め寄った。

「バク、ラ、ここまでだ……」

額にびっしりと脂汗を滲ませて、消耗しきった彼は言う。
その姿勢が、また愛しい。
強がりの影には、いつでも『恐れ』が見え隠れしているから。

「相変わらず強気だな。オレを見てみろよ、どっこも傷んでねぇだろ、あんたがなんの攻撃もしてこないからさぁピンシャンしてんだぜ?それに引き換え、あんたはズタボロ。どーしてそれで、オレを追い詰めたような口をきけるんだかね……」
「……ここまで、来たのは……手が、ないわけ、ではない、と……。貴、様に、盗まれる前に、貴様を、殺して……」

自分に言い聞かせるように呟きながら、アテムは近づいて来た。
彼の方から、バクラに向かって。

「オレは、お前を、許せない……かな、らず……この、手、で」
「ふうん……」

決して力強さを失わない、その視線を受け止めて。バクラは徐に馬を下りた。
そうして、王の意思を確かめるように、一歩ずつ、進む。

距離を詰めるほど、強く感じた……彼の恐れ。
逃げたい気持ちが嫌と言うほど伝わってくる。
どんなに虚勢を張っても隠せない程に。
彼はバクラが、本当に、怖いのだ。

それでも、逃げないのは。

(こいつの、所為かい?)

恐れを誤魔化すように、意識を内に向けている王。
今すぐにでも教えてやりたいけれど……もう少し、まだ。



手が届く距離まで接近し、どうにか欲求を退けながらバクラは声をかけた。

「……考え事は。今すべきじゃないぜ……?」

ハッと目を上げたアテムの顔はとても近くて、バクラの心はいっそう熱くなる。
早く、触れたい。一番にそう思った。
もう一度喰いたい、この上質な肌を。それで竜が手に入れば、言うことなしだよなぁ……無意識で輪を撫でながら、バクラはうっとりする。

「それを……返せ」
「やだね」

触れたい、
触れたい。
その、カラダに。

だが、まだだ。もう少し……きっと、あと少しで、必ず。



せめてと腕を伸ばし、王の馬に触れた。

穏やかなバクラの心を知ってか知らずか。美しい白馬は従順だった。
こんな風に王も。自分に身を寄せてくれるなら……優しく、出来るのだろうか?

(いや……『らしく』ねぇだろ)

「貴様には、それを、手にする資格は……ない……速や、かに、あるべき場所に、戻し。きちん、と、罪を……償え」

やっとのことというように、声を絞り出すアテムを横目で見た。
彼は決してバクラの方を見ようとはせず、千年輪だけを見つめていた。

バクラが傍にいる、ただそれだけで。
彼の精神は追い詰められていく。

心なしか、手綱を持つ手が震えて見え、更に視線を動かせばほっそりとした綺麗な足が。見られていることを意識してか、男の視界から逃れようと愛馬の影にさり気なく移動した。

「させて、みれば?」

感情のこもらない声で呟くバクラは、堪えきれずスラリと伸びたその足に指を向けた。



触れたい、
触れたい。
この、カラダに。

ああでも、少しでも触れてしまったら。きっともう、抑えられない……



「ファ……オ……」

タイミングが良かったのか、悪かったのか。
待っていた〈邪魔)が入る。

チッと小さく舌打ちし、ついでのように表面をなぞる程度に撫でただけで、さっさと手を引っ込めた。

(焦らされるほど、燃えるもんさ)

追いかけて来る者がいることは計算済み。寧ろ、その必要がある。
これは、確実にアテムを手に入れる為のシナリオなのだから。

この救済者は、王を更に追い詰める道具となる。



「あとでゆっくり、イイコトしようぜ……」

期待を込めて、バクラは後ろに飛びのいた。



(やれ……)



闇に溶けたディアバウンドが地を割る。
パッカリと開いた割れ目に、王の馬は驚き立ち上がり、そうしてバランスを崩した。

「ファラオー!!」

漸く主の元へと辿り着いた神官の目の前で、アテムの体は深い渓谷へと吸い込まれていった。





「残念だったな、一歩遅かった。王サマはぁ冷たく厳しい水の中〜」

からかう様に神官に声を掛ける。
一か八かの賭けだったが、それでもバクラは余裕を見せ付けた。
攻撃態勢に入った神官に怯むことなく、準備していた台詞を口にする。

「一、ここでオレと闘い、死ぬ」
「!?」
「二、速攻崖を下りて、王サマを探す。貴様はどっちを選ぶ?」

このハゲの神官は初めて接する相手。
だが、主がアテムである以上……きっと今までの神官たちと同様に。

「今ならまだ間に合うかもよ?だいぶ痛めつけてやったけど。王サマ、ここで死ぬようなタマじゃねーだろ」

案の定、その言葉を聞くや否や。
神官はバクラに背を向け、険しい崖を馬で駆け下りていった。

「へぇ〜やるね」

流石にここから下りるとはバクラも考えてはいなかった。躊躇わず行動を起こした勇気に敬意を表して、心の中で手を叩く。一方で、注意深く辺りの様子を探り。
あの神官以外ここまで追って来た者がないことを確認して……呼び寄せる。

姿を現したディアバウンドは、その手にアテムを抱いていた。





思い通りに事が運び、バクラは満足そうに王を受け取った。
これで、心置きなく。彼に、触れられる。

バクラの腕の中でぐったりとしているアテムは、ピクリとも動かなかった。
もちろん、息はある。死なせてしまうようなヘマはしない。
散々痛めつけたあげくの〈事故〉だった。緊張の糸は切れ、当分目覚める事はないだろう。

「……じゃ、行きますか」

流石にここでは情緒がないから。バクラは場所を移動した。


* * *



この土地に彼を誘い込んだのは、ここら一帯がバクラのテリトリーであるからだ。周辺の地理は頭に入っている。例え大勢の兵に追われても、追手の目を誤魔化す手はいくらでもあった。その際、世話になるであろう洞窟が何箇所か存在する。

一番近いその穴倉に向かい入り込むと、バクラは入り口にディアバウンドを立たせ穴の存在を消した。

外からは、決してそこに『在る』とは思えない。

「今度こそ。誰にも邪魔は、できねぇよ……」

もしこれで、竜神が手に入ったら。
それが王の持つ、最後の力だったなら。

彼を殺さなければならない。

「すぐに終わらせちゃ、勿体ねーもんな」



どこからか水が染みているのか。穴の奥は湿気が高く、地面だけでなく壁面にもびっしりと苔が生えていた。
踏みしめた場が丁度良い柔らかさであることを確認し、着ていたローブを脱ぐと地面の上に敷いた。その即席の寝具の上に、そうっとアテムの身を横たえて。
傍らに跪くと、バクラは彼の装身具を一つずつ丁寧に外していった。

普段なら、その全てが戦利品なのだけれど。今のバクラにはどんな宝石も、黄金も、色あせて見えた。何も纏わぬアテムの肌は、それ以上に輝いていたのだ。

重たい装飾品を全て取り払われた王は、純白の絹布を纏うだけとなった。
細い手足は力なく投げ出され、青白い顔はどんな表情も作らない。
あまりにも無防備すぎて、すぐには手が出せなかった。
暫く、じっと見つめるしかなかったバクラは、ふと気付いたように指を伸ばした。

「バサバサ、だ、な……」

対峙する時は、いつも。アテムはきつくバクラを睨みつけた。その眼光は強烈で、非常に印象的。だから特別に思わなかったけれど。
瞼には長い睫毛がびっしりと並んでいた。
バクラは興味深げに、その睫毛を人差し指で掬った。
荒れた肌に乗ったそれは、本当に長くて……節くれだった男の指の上に綺麗な影を落としている。弄ぶようにいじりながら、バクラはぼんやりと考えた。

この下にある目は、バクラのことを常に厳しく見ていた。強く光る紅い瞳は、それ自体が宝石のようだと評価したけれど。睨まれていると、何となく動きを制限されたものだ。
こうして力を抜いて、伏せられた状態になると、逆に戸惑ってしまう。
けれど……自由に。だからこそ、今は好きなように、出来る筈。

目を細め、改めて確認するように頬を撫でた。
柔らかく、滑らかな、どこか中性的なそれ。小さくて細い顎に対し、頬の丸みは成熟しきらない少年であることを物語る。大人になれば、失われてしまうであろうそれらは、バクラがどんなに手を加えようと、永遠に不変であるもののように思われた。

艶のあるぷっくりとした唇は、まるで誘っているかのように濡れている。
バクラは彼の顎に指をかけ、そうっと口を開かせた。

「…………」

ゆっくりと顔を近づけて。静かに、唇を合わせた。
完全に塞いでしまっては、息苦しさに目を覚ましてしまうかもしれない。だからバクラは、彼の下唇を口に含み、軽く表面だけを味わった。
とても、甘い。
そんなはずはないのに、かぶりつけば、蜜でも溢れてきそうな柔らかい果実のよう。

「あんた、本当に。美味しいよ……」



身を起こし、華奢な体を縛っている腰紐に指を絡めた。
戒めを解き、はらりと弛んだ胸元の合わせに指を差し込むと、やんわりとアテムの胸を撫でてゆく。

汗ばんだ肌は、バクラの手の平によく馴染み、これまでとは異質の……拒否とも、拒絶とも違う〈許容〉を感じた。そんなワケない、バクラは否定しながらも、心のどこかで嬉しそうに微笑んでいた。

もしも、意識的に受け入れそして受け入れられたなら。何かが変わるのかもしれない。



ひとしきりその感触を楽しんで。遂に決心して首にかけていた千年輪を外し、傍に置いた。
身軽になったバクラはゆっくりとアテムに覆い被さる。彼の肌の上に唇を乗せ耳の下から少しずつ、じっくりと味わうように、舌を這わせていった。

痩せているアテムはとても骨ばっているけれど、その肌はきめが細かく触れると気持ちよかった。
こんなにも魅力的なカラダを、バクラは他に知らない。
ずっとこのままにしておけるものなら、そうしたい。これ以上、何の変化も起こさないように……そんなことが可能なら、絶対にするのに。

完全に前をはだけると、平坦な胸の上に可愛らしく立つ乳首を咥えこむ。
アテムはピクンと反応した。
視線を上げてみたが目覚める様子はない。ならばと遠慮なく舌で転がし、硬く尖るまで遊んでやった。

「……ん……」

吐息と共に声を漏らし、アテムは僅かに身を捩った。しかしこの反応は悪くない。
たとえ意識を落としていても、快楽は体が感じるもの。その証拠に、こうして優しく触れてやれば、悦さそうに息をつく。

「今夜は、素直じゃねぇの。いつもこうなら……オレは……」

独り言のような台詞は、ふいに途切れた。
バクラは瞬時に緊張する。



開くはずのない、頑なな瞼が。
ゆるゆると持ち上がったのだ。

「…………」

気まずさと、取り繕うような空気。
反射的に強張ってしまった顔に、咄嗟に仮面を被る。
バクラは努めて、涼しい表情をしてみせた。

穏やかな時間はこれで終わるのだろう。彼がバクラを受け入れる筈はないし、だからといってバクラも止めるつもりはない。
『〈力〉を得る』為に、また無理矢理犯さねばならないのか。

様々なパターンを想定し、結局行き着く先は同じだと、諦めたようにため息をついたバクラだったが。当のアテムは、ぼんやりとバクラを見つめたまま、やけに大人しかった。

「……?」

体勢を立て直し、バクラはアテムと真っ直ぐに顔を合わせた。
やはり大きな反応はない。
まるで、夢見心地のような表情。もしかして、見えていない……?
試しにそっと頬を撫でると、アテムはうっとりと目を閉じた。

彼は、自分の前にいるのが〈誰〉なのか、分かっていないようだった。

(頭でも、打ったか……?)

落下している時、何かに接触したのかもしれない。
全く恐れを感じさせないアテムの態度が、バクラにそれを納得させた。

それならばそれで、都合が良い。

「……漸く。二人で楽しめるってワケだ」

アテムが〈誰〉を見ていても。
やることは同じだから。

「〈秘密〉が。増えちまったな、王サマよ……」

細い背中に手を回し、そっと抱き起こす、と。アテムはバクラの首に腕を絡めた。
あまりにも自然な仕草だったから。思わず、きゅうっと抱きしめてしまう。


そんな、普通の抱擁が。

何故だか、バクラの心を苦しく締め付けたのだった。